絵で読む江戸の病と養生

絵で読む 江戸の病と養生

絵で読む 江戸の病と養生

 江戸時代には、さまざまな疫病が流行った。鎖国をしていたとはいえ、長崎の出島を介して西洋医学が紹介されたが、一方で疫病も入ってきた。当時の人は、疫病から逃れようとして、真剣に神に祈ったりしたがなかなか逃れる事は出来なかった。その有様が、錦絵や本で書かれている。
 コレラの絵では(頃痢流行記)では、安政5年に長崎で6月に始まったコレラの流行が、7月には江戸に到達して江戸の町中に広がり、3万〜4万人の死者を出した様子を描いている。棺おけを担いだ列が続いている。当時、蔵前通りを通る祭礼が毎日250を越えていたというのだから、今では想像がつかない。新型インフルエンザが流行るとそういうことになるのだろうか。
 江戸中期に相撲の番付が出たのを機に歌舞伎、演芸の番付と同じように、病と薬の番付も出ている。
 当時は、今のように横綱はなく大関が最高位であった。病の大関は疱瘡、関脇は五疳の火、小結が悪疾、前頭に中風・癪・逆上・黄疸・咳とある。薬の大関は奇応丸、関脇は順気散、小結は救命丸、前頭には熊の胆・実母散などとある。今でも商品名として残っているのもあり面白い。