近代日本漫画百選

 この前に、清水勲の本を紹介したが、読んでない本があったので、読むことにした。

近代日本漫画百選 (岩波文庫)

近代日本漫画百選 (岩波文庫)

 「漫画が大衆の生活の中に大量に入ってきたのは近代になってからである。 中略 近代に入ると権力を批判する機能を持った風刺画が加わり大衆の支持を得ていく。そして、漫画雑誌・新聞付録などのヒットメディアを生み出す。そこで私は、そうした近代の日本社会が生み出した傑作漫画(それを本書では主として『風刺画』と呼ぶ)100点を選び、それを解説することで『漫画とは何か』という問いに挑戦してみようと考えた。」
 そして、もう一つの目的として、「漫画が記録してきた”もう一つの近代”を明らかにする事である。漫画というものは大衆に向けて描かれ、『笑い』という大衆の共感を得て、大衆を納得させるものである。」
 清水勲によれば、風刺画が最初に登場するのは天保5年(1834年)の「北斎漫画」である。明治時代の漫画は、かなり強烈に政治家を風刺している。当時、一番多く登場したのが伊藤博文であった。


 写真は少し見にくいが、上は團團珍聞の明治27年(1894年)4月28日号に掲載された「五月人形陰弁慶」である。作者は中村不折(有名な画家であるが、当時の画家たちは若いときには生活のために多く漫画を描いていた。)清水勲の解説は「やせ細った体に『発行停止』『保安条例』『停会』『解散』などの”重い”七つ道具を背負い、内角(内閣)という権威の上に立って言論界を威嚇せんとする弁慶・伊藤博文首相。伊藤内閣は1年前の明治26年4月14日、集会および政社法を公布し、さらに同日、出版法・版権法も公布して言論の取り締まりに熱を入れだした。」
 下は、大阪滑稽新聞に明治42年(1909年)11月15日号に掲載された。解説は「伊藤博文明治42年10月26日、ロシア蔵相ココフツォフとの会談のため満州のハルピン駅に到着する。そのとき駅頭で韓国人安重根にピストルを連射され69歳の生涯をとじる。韓国総監として3年半の間朝鮮を支配し、その怨を一身に受けていた結末であった。犯人安重根は、伊藤をはじめ韓国併合に協力した韓国要人を暗殺すべく、同士14名と左手の第四指を切断して誓いを立てたという。 中略 これが事件直後に描かれた風刺画である。タイトル(女ずき者の最後)からして強烈である。伊藤は私生活に女性の影がちらつき、それをテーマにたくさん漫画が描かれた。それにしても死者にムチ打つようなこんな漫画が描かれたのは何故だろうか。伊藤は、韓国人のみならず日本人にもうらまれ、その艶福家ぶりはしばしば風刺画で皮肉られている。」 
 伊藤が打たれた瞬間の影が「女」という字になっている。安重根は日本から見たらテロリストだが、韓国から見たら日本統治に反対した英雄である。
 歴史を見るときに自国の立場から見るだけでは平和は生まれない。日本・中国・韓国の間には日本の侵略戦争という歴史的事実があり、それをどう共有するかが大事である。三か国の歴史学者が共同で作った歴史書がある。
未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史

未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史

 その中に、コラムで「安重根伊藤博文」という一文がある。長いが、引用する。
 「伊藤博文ハ日本の総理大臣と初代の韓国統監職を歴任した人物です。1909年10月26日朝9時頃、3年6ヶ月間の韓国統監職を退いた伊藤は、中国東北のハルピン駅に到着しました。日本政府の特使として満州視察とロシアとの関係調整のため来たのでした。
 列車から降りて駅でロシア儀杖兵の敬礼を受けた伊藤に向けて、歓迎の群衆の中から飛び出した安重根が銃を発射しました。銃弾は伊藤に命中し、30分の後、伊藤は絶命しました。義兵部隊の指導者であった安重根は、伊藤を”断罪”した理由として、明成皇后(閔妃)を殺害した罪、高宗皇帝を引退させた罪、乙巳条約を強制的に結んだ罪など15の罪を挙げました。
 現場で逮捕された安重根は、義兵部隊の指導者として決行したので『万国公法』にもとづいて裁判を開くことを要求しました。もともとハルピンは治外法権が適用される地域であったため、この事件の裁判権は韓国にありました。しかし日本は、『外国にいる韓国人は日本官憲が保護する』という、1905年の乙巳条約を拡大解釈して、この事件を日本の満州統治機関である関東都督府に任せました。安重根の行動が韓国人の独立意思を刺激して併合に反対する動きとなって現れることを恐れたためでした。
 関東都督府地方裁判所は、安重根が要請した外国人弁護士も認めず、通訳もつけないままで、予審なしに裁判を進行し、死刑を宣告しました。1910年2月26日午前10時、伊藤が死んでからちょうど4ヶ月になる日、伊藤が死んだ時刻に中国の旅順で死刑が執行されました。」