加藤周一

 加藤周一は、昨年12月5日に89歳で亡くなった。今、全国的な広がりを見せている「9条の会」の呼びかけ人の1人であった。私の住む町でも「あわ9条の会」が作られ、毎月1回は何らかの行動を行い、憲法九条を守り、生かしていく活動を行っている。
 彼が亡くなってから、いくつかの出版社から、彼の本が出されている。これもそのうちの一つである。久しぶりに加藤の本を読んでみた。

 2000年11月に岩波書店から刊行されたものに、新たに「老人と学生の未来」「加藤周一 1968年を語る」を加えて、岩波現代文庫の一冊として編集された。
 それほど加藤の本を読んではいないが、我が家にあるものを年代順に列挙すると以下の通り。
 「羊の歌」「続羊の歌」(岩波新書 1968.8)・「日本人とは何か」(講談社学術文庫 1976.12 未読)・「中国往還」(中央公論社 1977.3)・「日本語を考える」(かもがわブックレット 1990.11)・「居酒屋の加藤周一」(かもがわ出版 1991.12)・「夕陽妄語Ⅲ」(朝日新聞社 1992.2 未読)・「現代世界を読む」(かもがわブックレット 1993.1)・「日本はどこへ行くのか」(岩波ブックレット 1996.9)
 「羊の歌」は最近復刊された。今から40年も前だから、大学時代に読んだことになる。
羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

 本書で、「私の経験からいうと、外界への関心、理解と、ものを書くことの原則は深くかかわっています。私は初めから森羅万象について書かなければならないというような考えは毛頭ももっていなかった。自分で見てきて、よく知っていることを書けばいい。知らないことはたくさんあるから、それは知っている人が書けばいい。人だったら会ってみるとか、何か事件があったらその場に行って見るということは、やはり大きなことだと思う。」と語っている。彼は医者でもあって、1945年8月の広島の原爆被害の調査に「医学調査団」の一員として参加している。
 もともとの平和主義者であった彼の生き方に、目の当たりにした広島の惨状が、大きな影響を与えているのではないか。彼は、中国・プラハソ連など実際に行って見て感じたことを、書いている。
 憲法9条について、彼は「簡単にいえば、軍事予算を増大する方向に第九条を解釈してきたのが戦後史です。いま憲法を変えようといっている人たちが、軍事費をもっと増大する方向に憲法九条を変えるのか、今度は絶対にできないように軍備を縮小する方向に憲法を変えるのかといったら、答えは明らかです。別の言葉でいえば、第九条を、できるだけ都合のいいように解釈することのできる軍備の限界に来たということです。今度はいよいよ第九条を変えることによって、もっと自由に行動できる軍隊を備えたいということになる。もしその推定が正しいとすれば、そうしないほうがいい。そういうふうに変えれば日本は普通の国になる、特徴がなくなる。
 私は、この条項が特異だから、という理由だけでそういっているわけではない。ほかの国もそちらに動くことが望ましい。つまり国際紛争解決の手段として軍事力を用いない、できれば軍事力の脅しさえも用いないというのが望ましい。世界の大勢は、今はそうでないけれど、将来はだんだん普通の国が軍備を放棄する方向へ、少なくとも軍縮を経て軍備放棄に動く可能性がある。もし世界がそういうふうに動けば、日本はただ単に現在の時点でほかの国と違っているだけではなくて、世界の大勢を先取りしていることになる。それは国としての誇りの中心になり得る。だから今の軍備をもっと拡大する方向で第九条の放棄をしないほうがいい。むしろ第九条をもっと厳密に解釈して軍備を縮小する方向に向ったほうがいい。」と語っているが、私はこの意見に賛成だ。
 ソマリア沖に自衛隊が海賊の脅威から船舶を守るといって、武器を持って参加し積極的に攻撃を仕掛けようとしている。しかし、なぜ海賊がはびこるのか、その原因の究明と解決のための処方箋を示さないならば、真の国際貢献には程遠い。