加藤周一2

 未読だった「日本人とは何か」を読んだ。

日本人とは何か (講談社学術文庫)

日本人とは何か (講談社学術文庫)

 本書には、彼の日本人論が展開されている。書かれた時期は、1957年から1964年にかけてで、8つの論文が収録されている。
 内容は、「日本人とは何か」「日本的なもの」「日本の芸術的風土」「外から見た日本」「近代日本の文明史的位置」「天皇制について」「知識人について」「戦争と知識人」
 加藤は、「日本人とは何か」の中で「日本人とは何か、さしあたって何であるかわからぬ。しかしやがて技術文明のなかに人間的な感覚の『形』を導き入れるという重大で決定的な仕事に熱心なあまり、平和をねがわずにいられない一国民になり得るでもあろう国民である。われわれはそのような歴史を負い、今も活気にみち、自分の能力のほんとうの使い道を探しているのだ。」と語っている。この文章は1958年に書かれている。1945年8月の敗戦から13年が経ち、基本的人権を認めた憲法が施行されてまだ浅い時期である。再生日本が生き生きと活動してきた時期でもある。国民の進む道に明るい期待を持っている。それから50年経ち、日本の社会は大きく変貌を遂げた。良い面も悪い面もあるが、これまでの日本を支えてきた憲法が形骸化され、憲法9条は危機的な状況に陥っている。
 「戦争と知識人」では、戦争中で知識人が果たした役割について批判している。戦争中、日本浪漫派と京都哲学派の果たした戦争加担への積極的な役割を断じている。また、高見順の「敗戦日記」と永井荷風の「罹災日郎」を比較している。しかし、反戦主義者の永井荷風でさえも、「戦後の民主主義推進のエネルギーが、荷風に代表される戦時中の反戦論者から出てこなかったのは、当然である。大衆と大衆の組織に何らかの意味で信頼することができなければ、ファッシズムをくい止めることはできない。現にくい止めることができなかったから、十五年戦争があったのだ。今後についても同じことがいえるだろう。日本の知識人がみんな永井荷風であっても、ファッシズムをどうすることもできない。しかし実情は知識人の大部分が、荷風でさえなかったのだ。つまり食い止めることをはっきり望んでさえいなかったのである。」と指摘している。
 一方で、まことに少ないが日本の軍国主義に反対した人を紹介している。キリスト教徒(この時期、ほとんどのキリスト教団体も仏教団体と同じく戦争に賛成する側に立っていた。)矢内原忠雄や南博、宮本顕治宮本百合子に代表されるマルクス主義者である。彼らは、背広を国民服に着代えるように「思想」を脱すてなかった人々である。と加藤は言っている。
 立脚点がはっきりしなければ、価値判断をする時に危ういことになる。企業や「国家」のためでなく、どうしたら人々の幸福・利益につながるかが問われるだろう。