竹内実

中国という世界―人・風土・近代 (岩波新書)

中国という世界―人・風土・近代 (岩波新書)

 上記の本を読んだ。大分前に同じ著者の「コオロギと革命の中国」(PHP新書)を紹介したが、その続編というべきか。
 竹内実は1923年に中国の山東省で生まれ、幼少期を中国で過ごしている。学徒出陣も経験し、1949年に京都大学文学部中国文学科を卒業している。最初に彼の文章を読んだのは、「近代中国の思想と文学」(東京大学文学部中国文学研究室編 大安が出版 1967年7月)の中の一文「毛沢東 その『自覚的能動性』について」であった。この本は、今では大家となった当時の若手中国研究者が多く文章をのせている。600ページを越えるこの本は読みでがあり、啓発された。次に読んだのが「日本人にとっての中国像」(春秋社 1966年10月)。これは、岩波書店の同時代ライブラリーで復刊されている。
日本人にとっての中国像 (同時代ライブラリー)

日本人にとっての中国像 (同時代ライブラリー)

 卒業論文を書くのに参考にしたので、武田泰淳について書かれた文章には、書き込みやアンダーラインがたくさんあり、思い出深い本である。我が家にある彼の著書は次の通り。「中国 同時代の知識人」(合同出版 1967年)・「魯迅と現代」(勁草書房 1968年 佐々木基一との共編)・「毛沢東中国共産党」(中公新書 1972年)・「現代中国の文学 展開と論理」(研究社 1972年)・「紀行 日本のなかの中国」(朝日新聞社 1976年)・「魯迅遠景」(田畑書店 1978年)・「魯迅周辺」(田畑書店 1981年)であるから、竹内実を読むのは久しぶりである。肩の凝らない読み物になっているが、この本には中国について語る、60年を越える中国研究者の楽しみ振りが伺われる。
 「終章」で竹内は中国はどこに行くかについて「歓楽に向う」と書いている。「ただし、個人ではなく、ひとびとが、ともどもに享受する歓楽である。」
 歓楽の中身について、孔子の「論語」の一文を出して説明している。
「子、曰(のたまわ)く、学んで時に習う。また説(たのし)からずや。朋(とも)ありて、遠方より来る。また楽しからずや。人知らずとも慍(いきど)おらず。また君子ならずや。(論語 学而  中略)
孔子先生がいわれた。塾で学んだことを春夏秋冬、季節ごとにおさらいする。これ以上のたのしみはないのではないか。遠方にいる友人が訪ねて来る。これ以上のうれしいことはないのではないか。他人(ひと)に伝えても伝えきれない。それでも立腹しないのは君子と言うべきでないか。
 ここで、勉学にはげみ、おさらいをするのが学術・文化の基礎だとか、友人との再会が人生の目的だとか、孔子がいっていないのに注目したい。ずばり、『たのしみ』だ。『うれしいこと』だといっている。つまり『歓楽』の一つなのである。」