また、上海

 前回、竹内実のことを書くために本棚を探していたら、ついでに見つかったのが「上海「であった。

上海 (1942年) (岩波新書)

上海 (1942年) (岩波新書)

 岩波新書の、旧赤版である(定価50銭)。発行は1942年3月。著者の殿木圭一(1909年明治42〜1994年)は戦前共同通信社の記者をしており、戦後は専務理事になったが、後に東京大学新聞研究所の教授になっている。はしがきには「1937年9月から1940年8月に至る私の上海同盟通信社勤務當時のノートを基礎に、上海のあらましを把まうとした」とある。
 上海が欧米・日本の植民地として支配されていた時代の、上海の状況である。当時の上海は今以上に中国での経済的位置が高かったことが伺われる。上海租界(中国の開港都市において、外国人がその居留区の警察・行政を管理する組織、及びその地域。1845年イギリスが上海に創設、一時は8ヶ国28ヶ所に及んだ。第二次大戦中に消滅。 広辞苑)の様子が各種統計資料も用いて詳述されており、列国の植民地支配の状況もわかり興味深い。
 1936年の国別上海貿易を見てみると、輸入も輸出もイギリスが第一位を占めている。中国への主な輸出をアヘンに依存していたイギリスは、その後も中国において他国よりも優位な位置を占めていた。上海租界の支配についても圧倒的な地位におり、それは第二次上海事変まで続く。
 林京子は小説集「ミッシェルの口紅」紀行文「上海」でそういう時期の上海を描いている。租界と日本軍に守られた日本人社会の外を、本書では「民衆の極度の貧困、共同租界内の露地や空地に発見され普善山荘によって合葬された餓死、凍死の死体数は1939年には22,381、1940年には19,993を数えた」と記述している。
 あとがきで著者は「『上海』の原稿を書き了へて書店へ渡したのが12月6日、それから48時間を出ずして大東亜戦争は勃発し、12月8日未明黄浦江上の米砲艦ウェークは我に降伏し、英砲艦ペトレルは撃沈された。わが上海陸海軍部隊は午前10時(日本時間午前11時)を期して蘇州河以南の共同租界に進駐した。」と書いている。私が所持している「上海」は1942年10月発行の第二刷である。しかもそれには1万部と記載されている。第二次世界大戦が始まり、中国・上海情勢がどうなるのか知りたい読者が多くいて、これだけの大部数の印刷になったのだろうか。