内山完造の生涯

 中国語の本を調べようとして、東京・神田にある内山書店のホームページを調べてみたら、見つかったのが表記の本である。
 内山完造の妻が1917年に上海で開いた書店の後継が内山書店である。
 内山完造については、大分前に紹介したが、彼の没後50年(2009年)を記念して、故郷の岡山県井原市の人たちが中心になって、この本が作られた。記念事業への協賛金一口1,000円に協力すると本が贈られてくる。
 漫画で、内山の生涯を紹介している。学校での学習教材としても使われるように工夫している。5月17日(日)に井原市民会館で記念行事が行われるようだ。
 
 井原市のホームページに内山は以下の通り紹介されている。
【生没年】1885〜1959

 内山完造は、後月郡吉井村(現・芳井町吉井)に生まれました。12歳の時、大阪へ丁稚奉公に出た後、京都の商家で10年間働きましたが、キリスト教京都教会の牧野虎次牧師(後の同志社大学総長)の紹介で28歳の時、大学目薬参天堂の上海出張員として中国に渡ります。 
 そして、1917年(大正6年)、上海に内山書店を開業しました。内山書店には、魯迅郭沫若谷崎潤一郎佐藤春夫林芙美子ら日中の知識人が頻繁に訪れ、サロンを形成しました。日本の大陸進出に対する反日・抗日運動の中においても、完造は幅広く中国人と友情を結び、戦後は日中友好協会の初代理事長に就任するなど、日中友好・国交回復のために力を尽くしました。


 そういえば、何年か前に息子が大学に行っていた金沢に、車で行ったことがある。福井県を経由するので、橘曙覧の記念館(福井市)と、魯迅の小説「藤野先生」の主人公藤野厳九郎の記念館(福井県芦原町)に立ち寄ったことがある。そこでも、学習教材用として「魯迅と藤野厳九郎」が出版されていたので購入した。記念館の傍には藤野のつつましい医院が移築されていた。