孔子伝

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

 孔子の伝記を書いた前2冊はあまり納得のいくものではなかった。そこで、白川静の「孔子伝」を読んだのだが、歯ごたえのある内容であった。この本は、1972年に中央公論社から同じ題名で出版されたものの文庫化である。
 「孔子の人格は、その一生によって完結したものではない。それは死後にも発展する。孔子像は次第に書き改められ、やがて聖人の像にふさわしい粉飾が加えられる。司馬遷がその仕上げ者であった。そしてその聖像は、その後二千年にわたって、この国の封建的な官僚制度国家の守り神となった。しかし旧社会が滅びたいま、孔子像はまた書き改められなければならない。」として本書を書いた意図を示している。
 先に、司馬遷の「史記」の「孔子世家」について書いたが、「孔子世家」についてこう批判している。「孔子の最も古く、また詳しい伝記であり、『史記』中の最大傑作と推賞してやまない人もあるが、この一篇は『史記』のうちでも最も杜撰なもので、他の世家や列伝・年表などとも、年代記的なことや事実関係で一致しないところが非常に多い。」
 李長之の「人間孔子」や丁寅生の「孔子物語」などは、史記などに書かれたことを無批判にその多くは史実として捉えて、孔子像を作っている。
 儒教についても、「体制の理論とされる儒教も、その出発点においては、やはり反体制の理論であった。そのことは、孔子の行動がよく示しているところである。しかしその反体制の理論は、その目的とする社会が実現したとき、ただちに体制の理論に転化する。それが弁証法的運動というものであろう。」と指摘している。
 孔子を聖人として崇めたい人は、彼の祖先が国王であったというが、白川は「孔子はとくに卑賤の出身であった。父のことも明らかでなく、私は巫児の庶生子ではないかと思う。」「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語は、すべて虚構である。」とする。私も、このほうが孔子らしいと思う。
 儒教の「儒」と言う字についても言及している。儒とは侏儒(こびと)である。儒は需を声符としており、需とは雨の上がるのを須(ま)つ意で、需は雨と而との会意字で而には「はばかる」「ゆるくする」の意があるという。さらに中国古代の文字「金文」にまでさかのぼって、結局需は「雨上がりを待つ字ではなく、雨請いをする男巫の形である」と結論づけている。儒は「巫祝のうちでも下層者であったはずである。かれらはおそらく、儒家の成立する以前から儒と呼ばれていたのであろう。」
 春秋戦国時代の中国がどうであったのか、儒教がどのように成立し、論語がどのように編纂されたのか、孔子がどう生きたのか、そのほか荘子老子等との関係も書かれていている。


 追記
 書棚の本を探していたら、孔子に関する本も出てきた。「孔子」(和辻哲郎 角川文庫 1955年7月初版 1962年6月七版)と「孔子」(貝塚茂樹 岩波新書 1952年5月第1刷 1964年4月 第22刷)であった。40年も前に読んだのであった。
 前著は、1938年に岩波書店から刊行されたものの、再刊である。和辻で一番読まれているのは「古寺巡礼」である。同様な書名をつけた本がいくつも出されている。
 貝塚の「孔子」では司馬遷の「史記」中の「孔子世家」について、「『史記』全130巻のなかでも、出色の出来栄えを示す一篇であるといってもよい。」と評価している。研究者によってとらえかたは違うものである。

孔子 (岩波文庫)

孔子 (岩波文庫)

孔子 (岩波新書 青版 65)

孔子 (岩波新書 青版 65)

 2009年8月27日