阿波の狸の話

阿波の狸の話 (中公文庫)

阿波の狸の話 (中公文庫)

 四国は、狸にまつわる話が多い。特に、徳島はそうだ。「阿波の狸の話」には、阿波の狸の話と阿波伝説物語が収録されている。阿波の狸の話は、明治・大正の頃に民間に伝承された話を載せている。阿波伝説物語は、1911年(明治44年)に出版されている。
 人が化かされたり、狸が化かされたり、大変楽しい本である。時代を反映して、日清戦争日露戦争に出征して、戦死した狸もいるというからおもしろい。狸も軍国主義とは無関係でいられなかった時代が反映されている。
 私が住んでいる、阿波市吉野町の狸の話もあるので、少し長いが再録する。
  「三つ墓」
 四、五十年ばかり前の話だという。
 阿波郡柿島村に、藍の玉搗(たまつき)を職とする幸三という男があった。母との二人暮らしであったが、至って孝行で、村でも評判のよい若者であった。それに幸三は声がよくて、謡(うた)に上手であったので、その喉に岡惚れる村の女も少なくなかった。
 ところが、この幸三について妙な噂が立ちはじめた。というのは、幸三は近ごろ何か魔物に魅いられているということであった。
 ある時、村人の一人が、夜おそく村の用水のほとりを歩いていると、向こうの橋の方から追分節が聞こえて来る。聞き覚えのある声だがと近づいてみると、その用水に架かった橋の上に、睦まじそうに寄り添いながら、欄干にもたれている若い男女がある。その一人は確かに幸三である。「はてな」とその人は思った。「幸三はこのごろ何やら魔物に魅入られているちゅう噂じゃが、なるほどこれはおかいしい。この橋の辺りは昔から狸がよく化けて出る所じゃが、ひょっとすると幸三のやつ、狸にやられておるのじゃないかしらん」と、その人はそっと近づいて行って、追分節が一節謡われてしまったとたんに、「幸三!」と呼びかけた。幸三は吃驚して振り向いたが、幸三よりも一層驚いたのは女であった。女はふりかえって村の人を見るや否や、パッと姿を闇の中に消してしまった。そこでその人は、厭がる幸三を無理につれ帰って、おふくろに引き渡した。
 幸三が魔物に魅入られているという噂はますます高くなった。しかし幸三はそんなことには頓着なく、毎夜のように例の橋の畔へ出ては、得意の謡を謡うのであった。それで村の人々は、これは、幸三がよい喉を持っているので狸に惚れられてその誘惑を受けているに相違ないと評判しあった。
 そのうちに世は秋に入って、吉野川の出水する時期が来た。二百十日を中に挟んで、三日三晩吹きつづき降りつづいた暴風雨は、吉野川沿岸一帯の地を泥海にした。四日目の朝になってみると、川に近い多くの人家が流失していた。そうして幸三母子もまたその家とともに行方が分からなくなっていた。
 水が引いた後、幸三母子の死体が、例の橋の下手の藪にかかっているのが発見された。そうして二人の死骸を引き取って、立派に石碑でも立ててやろうという親類もなかったので、人々はその藪際に死体を葬って、そこに形ばかりの、無銘の墓石を立ててやった。
 間もなく、例の橋も今度の出水のために破壊したので、これを架けかえるために、村の人々がその橋の袂の付近を掘っていた。すると、その橋のすぐ下手の藪際に一つの小さい洞穴があるのが発見された。そこでその穴を少し奥に向って掘ってみると、そこには一匹の狸が、地中深く下りている竹の根に食いついたまま死んでいた。人々はこれを見て、すぐに幸三の事を思い出した。そうして「幸三の墓の側へ葬ってやろうではないか」という一人の発議に、誰も異議を唱える者はなかった。
 藪際に新しく出来た三つの墓、自然石を立てた無銘の墓、それはあわれに淋しいものであったが、その前を通る村人は、野に咲く花の二枝三枝を折り取って、その前に手向けて行くことを忘れなかった。
 その後幾十年、この墓の由来は村人の間にも次第に忘れられかけたが、それでも三つ墓はんと呼ばれて、一部の人々の尊崇を受け、藪の筍を掘る人もその付近は遠慮するのが常であった。しかるに前年吉野川の改修工事が行われて、くだんの藪は切り開かれて、そこには大きな堤防が築かれたので、この哀れな物語の唯一の遺跡も、今は跡をとどめなくなってしまったという。

 徳島の地元の三田華子が「阿波狸列伝」というのを書いている。1959年(昭和34年)に初版が出版されたが、私が読んだのは1978年の再販である。全三冊のこの本は、風雲の巻・変化の巻・通天の巻と題されて、狸の活躍が記されている。日開野(小松島市)の金長狸というのが一番の人望(狸望か)と実力を誇り、屋島の狸と闘うのだが、友情・裏切り・陰謀・恋などがあり、楽しい。
 井上ひさしが「腹鼓記」というのを書いている。これも同じ題材で狸合戦を書いているが、これも面白かった。人間世界が反映されている。

腹鼓記 (新潮文庫)

腹鼓記 (新潮文庫)

 先日、連れ合いが10月に地域の婦人会の行事で、神山温泉・焼山寺・雨乞いの滝に行くので、その下見に同行させられた(要するに運転をせよということであった)。雨乞いの滝は日本の滝100選に入っているそうだが、車道から30分近くも急な坂道を歩かなければならなかった。途中に4つの滝もあるのだが、その一つの滝の近くに小さな祠があった。近づいてみると狸の置物が置いてあった。この滝も狸にまつわる話があったのだろうと思った。