きょうされん総会と大会

 9月18日にきょうされんの総会、19.20日に大会が埼玉県のさいたま市で開かれ参加した。
 総会は、5月に開催される予定であったが、新型インフルエンザの影響でこの日まで延期されていた。
 きょうされんは自立支援法の廃止を求めて、粘り強く運動してきたが、民主党政権の誕生で新たな展開が生じてきた。
 総会では、「自立支援法の廃止と新法制定についての基本姿勢と主要論点」が採択された。(詳細はきょうされん本部のホームページ参照)
 小泉内閣新自由主義に基づいた「改革」は、国民に多大な被害をもたらした。障害者・高齢者など弱者がその最大の被害者であった。選挙の結果は、国民が示した小泉政治への明確な審判であり、決別でもあった。
 「基本姿勢と主要論点」では、新たな民主党政権に対しこう求めている。
1.新政権のもとで臨時国会でただちに着手すること(2009年10月〜12月)
①自立支援法の「特別改正案」の国会提出を求め、速やかに可決成立させる。
 ○応益負担を廃止する。
 ○日額払い方式を月額払い方式に戻す。
②障害者総合福祉法(仮称)等、新たな法制度を検討するプロジェクトの設置。
 ○民間団体、専門家などから構成する新たな法制度を検討するプロジェクトの設置。
 ○障害者総合福祉法、障害者差別禁止法、社会支援雇用制に関する法律などの検討。 など
2.自立支援法の廃止と新法の施行(2012年4月実施を目標に)
 ○障害者総合福祉法(仮称)の施行(2012年4月実施を目標に)
 ○障害者差別禁止法の施行
3.障害者施策に関わる基幹課題の実施(2015年4月実施を目標に)
 今の自立支援法は、障害の自己責任論・市場原理主義成果主義に基づいており、障害者の自立に一つも寄与しないばかりか、「障害者自殺支援法」とも言えるものである。
 大会には、2,900人の参加者と600人のボランティアの協力があった。
 記念講演は、松井朝子のパントマイムとトークがあり、平和の大切さを彼女は訴えた。
 特別報告には、ベトナムからグエン・ドクさんが参加した。枯葉剤の実態と、ベトナムでの障害者運動について報告した。
 アメリカのベトナム侵略戦争の際大量の枯葉剤がまかれ、その影響でベトナム国民は大きな被害を受けた。枯葉剤にはダイオキシンが含まれている。発がん性だけでなく次世代へ遺伝的障害も引き起こしている。今でも双胎児が生まれている。散布量はおおよそ9万kl。480万人の人が枯葉剤を浴びた。今日先天障害を持った120万人の人々がベトナムにはいる。アメリカは、この影響を受けた米兵については保障を行っているが、ベトナムには行っていない。写真報道家の中村梧郎さんが、多くの写真で枯葉剤の残酷さを明らかにした。

 往復の飛行機・電車の中で読んだのが、林扶美子の「戦線」であった。

戦線 (中公文庫BIBLIO)

戦線 (中公文庫BIBLIO)

 彼女が中国での日本軍の戦闘に従軍した記録であったが、空疎で退屈な内容であった。しかし、それなりに当時の人々の考え方、状況が理解されるものでもあった。
 記述の一部を紹介しよう。
 「戦線は苦しく残酷な場面もありますが、また実に堂々とした、切ないほど美しい場面も豊富にあるのです。私は、或る部落を通る時に、抗戦してくる支那兵を捕らえた兵隊のこんな対話をきいたことがあります。『いっそ火焙りにしてやりたいくらいだ』『馬鹿、日本男子らしく一刀のもとに斬り捨てろ、それでなかったら銃殺だ』『いや、俺は田家鎮であいつの死んでいった姿を考えると、胸くそが悪くて、癪にさわるんだ...』『まァいい一刀のもとに男らしくやれッ』捕らえられた中国兵は実に堂々たる一刀のもとに、何の苦悶もなくさっと逝ってしまいました。私は、この兵隊の対話を、どっちもうなずける気持できいたのです。こんなことは少しも残酷なことだとは思いません。あなたはどんなにお考えになりますか。」

 末尾に「林扶美子の『報告報国』と朝日新聞の報道戦線」と題して、佐藤卓己が解説している。
 この従軍記は1938年9月19日から10月28日にかけて陸軍(第六師団)の漢口攻略に随行した従軍記で、当時林は34歳であった。林の小説といえば、「放浪記」「めし」ぐらいしか読んでいない。尾道は放浪記の舞台であって、彼女の記念碑があったことを覚えている。1951年に彼女は死んでいるが、この戦争に対して戦後どう考えたのだろうか。
 彼女は吉屋信子とともに、主体的かつ積極的に従軍したようであった。多くの新聞社も同様であった。
 佐藤は最後にこう指摘している。
 「林扶美子はジャーナリズムに殺された、とは言いすぎだろう。文壇での成功に新聞社を利用した作家がおり、彼女の野心を部数拡大イベントに利用した新聞社があったというだけだ。その共犯関係は明白である。『戦線』拡大を欲したのは軍部だけではなかった。その上で、戦争を支持する世論の形成において、『ペン』は『剣』よりも強かったと言えるだろう。」