母郷

 先日、連合いと賀川豊彦をモデルにした映画「死線を越えて」(彼の同名の小説がある)を見に行った。これは今年、賀川が神戸の貧民窟に住まいをして、貧民の救済活動を行って100年になり、それを記念して各地で「賀川豊彦献身100年」を記念する行事が行われている一環である。映画そのものは、もう大分前に製作された。賀川豊彦の生き様を描いているが、社会救済や労働組合運動など多方面に活動した彼を生き生きと映し出している。
 映画を見終わった後、時間があったので徳島文学書道館で開かれている「野上彰展」を見に行った。野上彰と言ってもほとんどの人は知らないだろう。彼の生まれ故郷である徳島でも、知っている人はそう多くはない。そこでフリー百科事典『ウィキペディア』の記載を紹介する。

野上彰 (文学者)
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野上 彰(のがみ あきら、本名:藤本 登、1909年2月15日 - 1967年11月4日)は日本の文学者。
徳島市南内町出身。寺島尋常小学校(現徳島市立内町小学校)、徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)を出て、旧制第七高等学校(現鹿児島大学)から東京帝大文学部に進み、京都帝大法学部に転入。1933年中退。日本棋院での囲碁誌の編集長を経て、詩、小説、童話、戯曲、訳詞などの創作活動に入り、戦後、芸術前衛運動を推進。放送劇の主題歌作詞や台本、オペレッタの演出など、多彩なジャンルで力量を発揮した。著書に詩集「幼き歌」、戯曲集「蛾」、随筆集「囲碁太平記」など多数。オリンピック賛歌の日本語での訳詞を担当した人としても知られる。

 囲碁雑誌の編集をしていたので、囲碁は下手なプロよりも強かったようだ。展示を見ていると、川端康成に師事していて家族ぐるみの交流がよくわかった。もっとも、私は彼の作品を読んだことがない。
 徳島文学書道館では太宰治の作品を一所懸命に収集している人の、コレクションの展示もしていた。ついでに見たが、徳島の片田舎でよくもまあこれだけ集めたものだと感心した。
 受付では、徳島文学書道館が発行している本も販売していた。そこで、「母郷」を買った。橋本夢道(1902年明治36年〜1974年昭和49年)の句集である。
 句集と名の付くものはほとんど読んだことがない。奥の細道小林一茶、日野草城、正岡子規ぐらいか。数年前、松山に行った時に松山駅キヨスクで買った「漱石俳句集」(岩波文庫)は読みかけのままだ。
 夢道については、何ヶ月か前に金子兜太がNHKに登場して彼の作品と人となりを紹介していた。戦前はプロレタリア俳句誌なども刊行し、治安維持法違反で検挙され、2年も獄中生活を送った彼の俳句は、自由律俳句というもので、575にとらわれない。彼の師は荻原井泉水だそうだが、我が家にある荻原の本は「奥の細道ノート」(新潮文庫)と「おらが春・我春集」(岩波文庫)であった。
 「母郷」は、徳島を題材にした句を集めたものであるが、彼の家族愛・郷土愛がよく伝わる句集である。もっとも、その中には彼の批判精神が横溢している句も多々ある。いくつか紹介する。
○九十九の渦を炎天に逆立たしむ
○灰干しの若布鳴門のたんぽぽ咲く
○阿波生れ虐げられて踊りより知らず
○渦より強し九十四年貧乏の母の性
班長も来て呉れ骨ははさみ合いこれは軍帽の星章か
○誰も彼もにほめられて死んでしまった弟です
○もろこしの芯も食って俺もそうだったふるさとの子等のあばら骨
○これが正月のうちの餅できびや粟や鶏糞のようで
○麦飯を一塊になって食う野獣にひとしき眼に米を見ず
○「唾をのむ」料理とす、古里は茄子に和えて
○「飛行機で来たんか」と昼寝の老母がむつりと
○無禮なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ

無禮なる妻―橋本夢道句集

無禮なる妻―橋本夢道句集