四コマ漫画

 10月12日に、「徳島ラジオ商事件」のことを書いたが、最新刊の「冤罪File」(№8 2009年12月号)で、取上げられていた。犯人とされた富士茂子さんの冤罪を晴らすために、作家で僧侶の瀬戸内寂聴(徳島出身)が特別インタビューに応じている。瀬戸内は、この事件の冤罪を生んだ原因についてこう語っている。
 「それはもう差別ですよ。職業に対する差別、女だからとうい差別、入籍していない内妻だからという差別....そういう差別感があるから、ものを見る眼が曇ってしまい、最初から正しい姿がまるで見えないのです。」
 冤罪は、多くの不幸を生む。本人はもちろん、多くの家族、検察・警察によって偽証を強いられた証人など、普通の人間生活を奪われてしまう。

冤罪 File (ファイル) 2009年 12月号 [雑誌]

冤罪 File (ファイル) 2009年 12月号 [雑誌]

 清水勲の「四コマ漫画」を読んだ。

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)

四コマ漫画―北斎から「萌え」まで (岩波新書)

 北斎から始まる四コマ漫画について言及している。四コマが定着したのは「起承転結」で書かれているものが多く、見る人々に合っているからだろう。あれ!と思う人も四コマ漫画を書いている。昔は新聞が主だった四コマ漫画も、定期刊の雑誌も出て大盛況のようだが、扱っている題材、登場人物も時代の影響を受けて大きく変わっている。このごろは、新聞に掲載されている四コマ漫画も全く見なくなったが、四コマ漫画を描いた漫画家の略歴や、漫画の歴史もコンパクトに書かれていて面白い。
 この本の中で、興味を引くことがあった。彼も、私と同じく東京大田区馬込で生まれ育っている。清水は1939年生まれだから、私より7歳年上になる。引用しよう。
 「私は東京大田区の馬込で生まれ育った。後にその地が馬込文士村といわれるようになったのを知った。不思議な街で、室生犀星三島由紀夫らの作家や川端龍子・池辺鈞・服部亮英らの画家が住んでいた。中学生の頃には力道山トニー谷の家もあった。また、ドイツ人が住み、私の隣はヒットラーにもっとも信頼された日本人といわれたドイツ大使でA級戦犯の太島浩の別宅であった。万福寺から大森駅につながるバス通りに臼田坂があり、その周辺には臼田姓の家が多かった。私の母も臼田一族の出で、親戚の臼田家にはよく遊びに行った。そこに行くと漫画本や漫画雑誌がたくさんあり、楽しい時間をすごすことができた。」
 私の家は臼田坂を上りきったところにあったが、今はどう変わっているのだろうか。
 最後に清水は四コマ漫画の魅力について「それが記録してきた『時代の空気』という存在である。四コマ漫画には、描かれた時代の世相・風俗・事件に対する人々のこまやかな感情・思いが記録されているのである。  中略   数百万点は描かれてきたと思われる新聞四コマや雑誌四コマは、そうした庶民の生活を詳細に記録してきた貴重な歴史資料でもあるのだ。」