軍旗はためく下に

 大分、寒くなってきてメダカの動きも鈍くなり、水温が上がってくる時にならないと、餌を食べないようになってきた。
 

軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)

軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)

 2006年7月に中公文庫で再刊されているが、私が読んだのは1973年9月発行のもの。とは言っても、36年も積読状態であった本である。丁度、長女が生まれた年であった。
 あとがきで、著者の結城昌治はこう書いている。「本編は『中央公論』(昭和44年11月号〜昭和45年4月号)に連載されたものに若干の筆を加えた。素材となった事件は存在するが、あくまでフィクションとして書いたもので、誤解を避けるため架空の地名を随所に用いている。  中略   私は昭和27年のいわゆる講和恩赦の際、恩赦事務にたずさわる機会があって膨大な件数にのぼる軍法会議の記録を読み、そのとき初めて知った軍隊の暗い部分が脳裡に焼きついていた。それと、私自身戦争の末期に海軍を志願してほんの短期間ながら軍隊生活を経験したことが執筆の動機になっている。取材に当たって痛感したことは、戦争の傷痕がまだまだ多くの人々の胸に疼いており、国家がその責務を顧みないでいることである。『敵前党与逃亡』における一軍曹の場合は実際に問題となっている一例に過ぎない。最近の新聞によれば、敵前逃亡を理由に処刑された者の遺族にも年金と弔慰金が出るように法律を改正するというが、しかし、正当に裁判がおこなわれたことを示す判決書もないまま、逃亡兵の汚名は依然消えず、遺族の心が癒される道も閉ざされている。敗戦後すでに二十五年経ち、私は自分の怠惰を忘れ、さながら本編を書く時期を待っていたように錯覚しかねない世相だが、戦争の体験者よりむしろ現代の青年たちに読んで欲しいと願っている。」
 著者があとがきを書いたのは1970年だが、あれから40年近くたち、自衛隊憲法違反のイラク参戦・海外給油活動などを行っているのを見ると、著者の思いが杞憂でなかったことが知れるのである。
 本書で、著者は第63回直木賞を受賞している。題名「軍旗はためく下に」だけを見るとなんだか勇ましい戦記物にみられるが、そうではなくてその旗の下でどれだけ非人間的な異常なことが行われ、そのことを強制されていたかが知らされる。
 5つの事件が書かれているが、それは「敵前逃亡・奔敵」「従軍免脱」「司令官逃避」「敵前党与逃亡」「上官殺害」である。
 「敵前党与逃亡」ではこう書いている。
 「最初に殺された被害者の遺体は見つかりましたか。
 さあ...どうだたでしょう。覚えていません。
 初めから食べるつもりで殺したのでしょうか。
 もちろんそうだと思います。腹がへって、頭も少しおかしくなっていたのかもしれない。あるいはあの島全体が異常だったせいです。上官を食った事件は別としても、あの島は人間のあさましさをとことんまで覗かせてくれた。他人のことを言っているわけじゃありません。わたし自身、どんなに自分のあさましさを思い知らされたことか、殊に自分について知らないほうがいいことまで知ってしまった。」
 戦争末期の日本軍は、物資の補給も絶たれ現地徴発(正しく言えば略奪)によって食いつないできた。飢餓と死の恐怖におびえ、敵にも味方にも殺される状況で、狂気の世界が展開されていた。
 「人間の条件」を書いた五味川純平が「敵前党与逃亡」の解説でこう指摘している。「軍紀の弛緩は確かに一般的な事実であった。だが、兵隊を人間扱いせず、国家の名前において極限まで酷使し、あげくに飢餓に陥れたり、全滅を強要した罪は、誰が負うのであるか。兵隊の規律違反は、一部は確かに兵隊の資質低下に起因するが、大部は欠けるところあまりに多い指揮・指導に対する兵隊の本能的自営行為に属する。兵隊に対して罪を負うべき者たちは、戦後の生活に返り咲いて紳士然として口を拭っている。陸軍刑法は人間に対する罪を隠蔽するために効果を発揮するという側面を持っていたのである。」
 先日、平成になって20年ということで祝典が行われた。そこで天皇昭和天皇があたかも平和を願っていたようなことを発言していたが、ふざけた話である。兵隊たちを「狂気の世界」に導いた最高責任者は、間違いなく昭和天皇であった。