検閲と文学

 「言論統制」では1930年代の軍人が、いかようにしに言論弾圧で役割を果たしたかが示された。

検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

 今回の本はそれに先立ち1920年代の言論統制がどうだったかを実証している。主に1926・27年の雑誌「改造」を中心に、出版社・作家・編集者がどういう役割を果たし、内務省を中心とした弾圧がどうだったかが書かれている。1925年に公布された治安維持法普通選挙法のもとでどういうことが行われたのか。
 今でも「検閲」は存在する。その最たるものは「教科書検定」であるが、文科省の検定は「言論弾圧」に近いものがあると思う。このほかにタブーもたくさんある。「菊タブー」「鶴タブー」「解同タブー」などなど。さらに最近のマスコミは企業が巨大化してその存続をはかるために、真実を報道しようとしない。報道もバラエティ番組に堕している。
 大日本帝国憲法でも一応言論・出版の自由は認められていた。
 第29条「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」
 しかし、実際は「出版法」「新聞紙法」などによって規制され、販売頒布禁止と差押さえによって行政処分され、異議申し立てや再審議を求める道は閉ざされていた。
 本書に取上げられた雑誌「改造」は、1919(大正8)年4月に創刊され1944(昭和19)年6月で廃刊を余儀なくされた。この時代には大変よく読まれた雑誌であった。戦後1946年1月に復刊され1955年2月まで続いた。そして第5号から早くも「内閲」(事前に内務省の検閲を受ける)によって一部内容の切り取り削除が行われている。それからも、他の雑誌も同様だが、確たる根拠を示されることがないままに、何度も販売頒布禁止と差押さえなどを受けるのであった。
 我が家にある「改造」はもちろん古書店で購入したものである。その一つは1934年3月号。魯迅の「火・王道・監獄」という雑文が掲載されている。学研の「魯迅全集」第8巻にある「且介亭雑文 附記」で魯迅はこの文についてこう記述している。
 「第一篇の『ニ三の支那の事について』(漢訳題名は、関于中国的两三件事)は、日本の改造社の依頼に応じて書いた。本来、日本文である。すなわち、この年三月、『改造』に掲載され、その際、題を『火・王道・監獄』に改めた。」
 改造のもう一冊は1951年11月号である。ここには「今日に生きる魯迅」として3人が文を寄せている。「魯迅について」(中野重治)・「惟魯迅先生」(内山完造)・「この十五年」(齋藤秋男)である。魯迅没後15年を記念したものである。