目まいのする散歩

目まいのする散歩 (中公文庫)

目まいのする散歩 (中公文庫)

 私が読んだのは、1978年発行の中公文庫。読んでいるうちに、本の角にいくつか折った跡があるのに気がついた。もしかしたらもう読んだのかもしれないが、全く記憶にない。著者の8つの散歩に関する文章が載っている。
 武田泰淳は、脳卒中にかかって歩行も筆記も支障があって、奥さんの百合子さんに介助され散歩し、口述筆記でこの文章を書いている。アルコール依存症でもあった彼の日常生活が、その散歩と同じようにゆっくりと流れてゆく。
 明治神宮靖国神社・代々木公園・北の丸公園・武道館界隈など、自宅の近くの公園に行って、いろんな観察を行っている。関東大震災・中国での軍隊生活・ソビエト行きなどの散歩の場面が出てくるが、最期の文章「安全な散歩?」で彼はこう書いている。
 「地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない。ただ、安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。」
 武田夫婦はタブーにとらわれない人のようで、凄絶な生を生き抜いてきたから、物事に頓着しないようだ。「鬼姫の散歩」の中で、武田泰淳は夫人の言葉を借りてこういっている。「公明党が天下を取ったら、威張りだすんじゃないかなあ。創価学会のスポーツ大会なんかみると、おっかなくなるなあ。公明党の代議士は、みんな同じような、つやつやした顔つきで、同じようなべったりした髪型、同じようなしゃべり方をするのは気にくわない」
 この文章から20数年たち、自公政権で政権の座に着いた公明党は、小泉政権に端的に現れたように、国民の生活を破壊した。
 昨日は映画「嗚呼満蒙開拓団」を観てきた。満蒙開拓団として20数万人が国策の元に満蒙に開拓団として送り込まれた。そのうち8万人ぐらいが日本に帰国できなかったという。多くは、日本では生活しかねて政府の美辞麗句に踊らされて、行ったものだ。ひどい人は終戦直後の1945年5月に行っている。その頃は戦況は圧倒的に悲惨で、解っていながら送り込んだからひどいものだ。
 当時の状況を証言している人の話がたくさん挿入されているが、まさに地獄であったろう。自分の子どもを絞め殺したり、川にほおリ投げたり、中国人に預けたり、途中で置き去りにしたり、生きていくには正気では存在できなかった。しかし、日本政府はそれらの人々を未だに救済しようとしない。日本に帰ってきても、日本語が喋れないからと差別・迫害を受ける人も多かった。中国の方正というところに死没者の慰霊碑が方正県によって建立され、中国の人たちの手によって管理され、そこに訪問する場面もあったが、幾十万の日本人の遺骨とそれをはるかに上回る中国人の遺骨が、未だに発掘されずに中国の地に忘れられて埋まっている。
 民主党政権が今後どういう対応をしていくか、見極めることが必要だ。