守大助君に面会

 12月2日に、千葉刑務所までいって守大助君に面会してきた。交通の便の手配に手違いがあって、1日の夜行の高速バスで家の近くの土成を午後10時に乗車。翌朝6時半には東京駅についてしまった。面会の集合時間は午後1時45分。時間をつぶさなくてはならない。
 朝食を済ませて、皇居外苑まで行って市民ランナーのジョギング風景を見ることにした。確かに、朝早くから走っている人が多い。外国人も多くいる。中にはザックを背負って走っている人もある。これは出勤途中の人だろう。初冬の風を受けて走るのは気持がよいだろうと感じた。しかし、公園にはザックを背負い、大きな荷物を引っ張っている人が多い。職も家も家族も失った人々と、眼前に見える皇居のコントラストは、日本の政治の貧困さを物語っている。それでもまだ時間があったので、八重洲ブックセンターで暇つぶしをした。
 目的地の千葉刑務所はイギリス人の外国語教師の女性を殺害した市橋容疑者がいるためか、警備が少し慎重のようだと同行の人も言っていた。今回の面会人は、私と元弁護人の阿部弁護士。それに上智大学新聞学科の若い女性。彼女は卒論のテーマに冤罪とジャナリズムの関係を取上げていて、守君の事件だけでなくいろんな冤罪事件を研究していた。もっとも、卒論の締め切りまであと1週間しかないと焦っていたが。
 面会時間はわずか20分。少なくとも30分は話が出来るかと思っていたのだが、刑務所の対応には不満を感じた。面会人が多いのでと言っていたが、面会室が全部ふさがっているわけでないので、刑務所側の言い訳に過ぎないと思う。もっと刑務官を増やせば済むことである。
 坊主頭の守君は、写真で見た感じと違って引き締まった顔をしていた。はっきりと自分の考えを言える青年であった。学生の彼女は1年前にも面会したそうだが、彼女の「マスコミに対してどう感じていますか」という質問に対し、「事後検証に耐える取材をして欲しい」「マスコミは裁判でも検察の主張を聞くとすぐ傍聴席から出てしまって、弁護人の主張を聞かない。これではきちんとした報道はできない」と語っていたが、マスコミは警察発表をそのまま鵜呑みにして報道を行い、自分たちの手でその発表が正しいのかどうか検証もしない。彼が犯人だ、犯人だという報道を垂れ流し続けて、間違った世論形成に力を貸している。冤罪を生む温床の一つにこういう報道のあり方があると思う。
 私は、守君に徳島の支援する会の宮城の総会に向けての取り組みを少し話した。各地にある支援する会が連絡センターを作って、再審請求に向けて取り組みを強める必要がある。阿部弁護士は来年には再審請求をしたい、準備を進めていると語っていた。
 守君は刑務所の雰囲気に慣れたくないと語っていた。犯罪を犯したわけでもない守君にとっては、その通りだろう。はきはきした話し振りの中には、こういう環境に陥らされて非常に残念だとは思うが、自分の怒りの感情を抑えているけなげさを感じた。普通だったらもっと喜怒哀楽を自然に表現できるはずの人間が、その権利さえ奪われている理不尽さに怒りを覚えた。 
 今後も、手紙やはがきでの守君への激励、面会での激励が必要と感じた。守君には徳島の会からカンパと徳島ラジオ商事件のパンフ「無実」を差し入れした。千葉の救援会の岸田さん、神奈川の救援会の関川さんも千葉刑務所まで同行してくれてお世話になった。
 守君については「無実の守大助さんを支援する首都圏の会」をご覧下さい。アドレスは下記の通り。
http://homepage2.nifty.com/daisuke_support/