大江健三郎「取り替え子」

 15日には、水戸に帰る長女と孫3人を妻と神戸空港まで送って行った。高速道路は全く混んでおらず拍子抜けした。
 帰りに明石大橋架橋の下にある孫文記念館に立ち寄った。洋館の「移情閣」が記念館になっていた。孫文と日本との結びつきが展示されており、中華民国成立のための革命に多くの日本人が関わったこと、神戸の町が果たした役割がよくわかる内容であった。漫画で描かれた「孫文物語」の中文・日文を購入した。とは言っても購入額は合わせて150円であった。孫文の本では「三民主義」(岩波文庫 上下)を読んだだけである。

 大江健三郎「取り替え子」は私にとって分かりにくい小説であった。作家の義兄である伊丹十三の死をモデルに書かれているのだが、もちろんそのすべてが現実に起こったものではなく、創作の部分が多いのだろうが、彼の死を大江がどう受け取り乗り越えていったのか、文体も彼のエッセイと違って難しい。
 小説の中で吾良(伊丹のモデル)に古義人(作者)の小説のことをこう言わせている。「ところがさ、古義人はさ、考えてみれば驚くべきことだが、この三十年ほども、読者のことを考えて主題と書き方を選んだ形跡がない!君は小説の第一稿を書いた後、一日十時間働く日々を重ねてさ、すっかり書き直すだろう?当然に文章は読みづらいものになってゆく。確かに練り上げられてはいるが、自然な呼吸じゃない人工の音楽になるからね。」
 解説(沼野光義)では、「十代の吾良と古義人は再び無謀な決起を企てる国粋主義者たちの試みに巻き込まれてしまい、それが二人の一生の精神的なトラウマになるわけだが、戦後民主主義の強力な擁護者である大江健三郎はこのようにして、逆説的なことに、若き日の自分の原点のどこかに秘められていた国家主義国粋主義に惹きつけられるメンタリティを『取り替え子』においてアイロニカルに再確認したともいえるだろう。」
 

取り替え子 (講談社文庫)

取り替え子 (講談社文庫)