長安一片の月、万戸衣を打つの声」

 剱岳登山・和倉温泉の後、二女夫婦に徳島まで車で送ってもらった。運転をしないと、長距離も楽なものである。二女達は10月9日まで徳島の我が家に滞在。孫の楓君を含めて5人の生活は賑やかでもあり大変なものであった。
 1歳9カ月の子どもの後を追いかけていくのは一苦労。稲刈りが終わり耕した我が家の隣の田に入ったり、急に走ったり、なかなか追いつけない。今から思うと、どうやって子どもを育てたのだろうかと自分ながら感心する。保育所に入れていたから何とかなったのだろうが、そう考えると保育士の仕事はハードである。
 11日には妻は京都へクリーニング店の無料招待券が当たったので、友人たちと出かけて行った。私は、3か月預かった猫のミヤオが汚した家の大掃除。6部屋に掃除機をかけ、水ぶきをしたり、カーペットにコロコロをかけたり、廊下を磨いたり、たっぷり半日以上汗をかいてしまった。おかげですっきりした。
 「絶滅寸前季語辞典」を今読んでいる。書名に惹かれたのである。俳句は作りもしないしほとんど読んだことはない。

 本書は2001年に東京堂出版から刊行されたものの文庫化。文庫化に当たり新稿が加えられている。面白い。
 「絶滅寸前季語保存委員会」の責任者である著者:夏井いつきが「カラー版新日本大歳時記全五巻」(講談社)と「日本国語大辞典全二巻」(小学館)を駆使して、絶滅寸前の季語復活に力を尽くしている。俳句にはほとんど興味がないものだから、季語なんてものについても疎いのだが、過去から連綿とつながる、日本の風物が理解され、文章に気負いがなくて面白いのだ。
 本書によると委員会設立の目的、は、「次代の歳時記では間違いなく削除されるであろう季語保存のための作句活動」であり、そのスローガンとは「死にかけている季語を詠んで、次代の歳時記に自分の一句を載せてもらおう!」であるとしている。
 「落穂拾い」という晩秋の季語についても、樹木医の仕事になぞって、「言葉だって同じだ。時代とともに滅びていく言葉はたくさんある。どうせ滅びてゆくものだからさっさと捨ててしまえというのは、桜の木を伐り倒すことと同じだ。いずれ滅びてしまう言葉だからこそ、せめてその言葉をできるかぎり味わい、ひと花咲かせてやり、そしてその滅びようをきっちりと見届けてやることもまた、言葉を慈しむことだと思うのだ。」と語っている。
 同じく秋の季語「砧」については、「植物繊維で織った布を柔らかくするために、木槌で打つ作業。あるいは、その木の打ち台のこと」という説明の後、「高校生のときに、百人一首を覚えさせられた。そのなかの『み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさとさむく衣打つなり』という歌を、私は大きく誤解していた。中国や東南アジアあたりのドキュメンタリー番組で、川べりにたむろした女たちが平たい棒で洗濯ものを叩いている光景を見たりしたものだから、てっきり洗濯の場面だと思い込んでいた。」と、誤解を訂正していた。
 これを読んだ時、どういうわけか昔読んだ李恢成の芥川賞受賞作の「砧を打つ女」を思い起こした。私が読んだのは、1972年に文芸春秋社から刊行されたもの。
またふたたびの道・砧をうつ女 (講談社文芸文庫)

またふたたびの道・砧をうつ女 (講談社文芸文庫)

 ここでは、夏井の誤解のとおりの記述であった。「家で洗濯すると、母はその乾いた着物を重ねてトントンと砧でたたいたものである。」と。季語では、植物繊維で織った布を柔らかくするために、木槌で打つ作業であるが、李の表現も間違いではないのだろう。
 そういえば李白の詩に有名な「子夜呉歌」があり、その三に「長安一片の月 万戸衣をつの声 秋風吹いて尽きず 総て是れ玉関の情 何れの日か胡虜を平らげて 良人遠征を罷めん」がある。松浦友久先生は「李白 詩と心象」(社会思想社 1970年)のなかで、「万戸衣をつの声」について、「留守をまもる女性たちは、秋の夜ごと、しきりに砧を打って冬着の準備をする。遠征している夫のところへ送るためである。冬着を作る暑い生地、それにつやを出し、やわらかくするために、木の板や棒で布を打つ。くり返しくり返し、打つ。それは当時の秋の夜の、哀切な風物詩であった。」と解説している。
李白―詩と心象 (1970年) (現代教養文庫)

李白―詩と心象 (1970年) (現代教養文庫)