竹内好 ある方法の伝記

 昨日は、W石氏・連れ合いと高知県境にある石立山(1708m)に登ってきた。前日の雨にぬれた登山道は濡れて登りにくかった。それでも登っていく途中の秋の紅葉の景色はすばらしいもので、疲れを一瞬でも和らげるに十分なものであった。
 

竹内好――ある方法の伝記 (岩波現代文庫)

竹内好――ある方法の伝記 (岩波現代文庫)

 本書は1995年に出版されたものに、新たに「戦中思考再考」を加えたもの。思想家の文章に慣れていない者にとって、むずかしい。とはいえ、竹内の考え方が理解されるものであった。竹内が林語堂・茅盾に引かれながらも魯迅にたどり着くのだが、そのとらえ方も変遷する。しかし、彼の「大東亜戦争と吾等の決意」などに見られる弱点を、克服していく生き方は貴重なものである。しかもそれは、多くの戦後民主主義者が過去を否定し口を拭って再生したのとは全く異なっている。愚直なまでの彼の生き方は潔い。
 著者の鶴見俊輔はこう書いている。「日本が戦争責任を背負わず、それをみずから問うこともなくもう一度権力を握った岸信介ですね、この人が総理大臣になって、1960年の強行採決が起こって、安保闘争が起こるわけですが、そのときには竹内好さんが全力を尽くしてそれに対抗するという決断をしたんです。それは戦争中は右翼がよかったとかいうようなことと全然違う立場に竹内さんが立っていたということの証明ですね。それは、自分自身の戦時の著作を隠すことなく人々の前に表して、それを負うて、戦後の自分の行く手を見定めたということにも、著作者として表れています。」
 またこうも書いている。「晩年の評論集に『予見と錯誤』(筑摩書房 1970年)という題を選んだのは、晩年の彼が、自分の予測は、大東亜戦争についても、中国革命以後の行く末についても自分の予見が不十分だったという自己認定をふくんでいる。しかし、間違っていたからといって、今度は新しく反対の方向にむかって予測して歩いてゆくということをこの人はしない。自分の予測がどれくらいはずれたかを、それぞれの現在の位置にたって繰り返し測って認める。さらにその錯誤の認識をふくめて、元の自分の予測の中に何がしかの真実がふくまれていたその部分だけをふるいにかけてそれを守る。これを間違いの力、あるいは失敗の力と呼ぶとして、その判断を支える冷静さと勇気の組み合わせに私は感動する。」
 昨今の、政党・政治家にこれほどの矜持と勇気を求めることが、いかに困難かを知らされる毎日ではある。書棚には、あと2冊竹内に関する評論があるが、しばらくおいといて他の本を読もうか。