狄仁傑(Di Renjie) ロバート・ファン・ヒューリック

 明日は、B型肝炎訴訟でまた東京に行くことになった。国との和解について、強く働きかけるためで、全国原告団の代表者たちは、すでに東京で各政党・議員への要請行動を行っている。

真珠の首飾り (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

真珠の首飾り (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)


 ある日、神田すずらん通りにある東方書店に立ち寄った時見つけたのが、ロバート・ファン・ヒューリックの「ディー判事シリーズ」の本であった。 
 早川書房のハヤカワ・ミステリに彼の著作が翻訳されている。
 ロバート・ファン・ヒューリックは、早川書房の紹介によれば、「1910年オランダ生まれ。在日大使などを歴任した外交官であり、東洋文化の研究者としても広く知られている。またミステリ作家でもあり、在日中は江戸川乱歩らとも親交をもった。1967年死去 」と記されている。中国や日本で外交官として活躍する傍ら、狄仁傑をモデルに小説を書いた。
 中国の「公案小説」1951年の『迷路の殺人』をはじめとする狄仁傑(ディー判事)が主人公の推理小説を発表している。「公案」は中国語辞書(中日大辞典第三版 大修館書店)で調べると、「社会問題になっている案件。難しい裁判事件。」とあった。
 最初の小説「真珠の首飾り」が出版されたのが2001年2月。昨年10月にシリーズ最後の小説が出版された。これまでに早川書房から出されたのは、新しい順に「寅申の刻・螺鈿の四季・水底の妖・沙蘭の迷路・江南の鐘・紫雲の怪・東方の黄金・北雪の釘・白人の幻・南海の金鈴・柳園の壺・五色の雲・紅楼の悪夢・観月の宴・雷鳴の夜・真珠の首飾り」の16冊。
 狄仁傑(てきじんけつ 630年〜700年)は中国唐代の政治家。高宗・中宗・睿宗・武則天に仕えた。唐代で太宗の時代に続いて安定していたといわれる武則天の治世において最も信頼され、長年に渡って宰相を務めた。後世から古代推理小説の題材としてとられることが多く、文学作品や映画、ドラマなどでは「中国古代のシャーロック・ホームズ」と称されている。
 狄仁傑は唐代の宰相にもなった人物だから、勿論、詩文を作ることにも長けていた。シリーズ第3作目の「観月の宴」で訳者(和邇桃子)は彼の詩を紹介している。「帰省」と題する詩は、詩吟でもよく吟じられているようだ。


   幾度天涯望白雲
   今朝帰省見雙親
   春秋雖富朱顔在
   歳月無憑白髪新
   美味調羹呈玉筍
   佳肴入饌膾氷鱗
   人生百行無如孝
   此志拳拳慕古人



   幾度か天涯白雲を望む
   今朝(こんちょう)帰省し双親(そうしん)に見(まみ)ゆ
   春秋富むと雖も朱顔在り
   歳月憑(たの)む無く白髪新たなり
   美味羹(あつもの)を調して玉筍(ぎょくじゅん)を呈し
   佳肴(かこう)饌(せん)に入りて氷鱗に膾(なます)にす
   人生百孝行に如(し)くはなし
   此の志拳拳(けんけん)として古人を慕う



   異郷の空でいくたび故郷をしのんだことか
   このたび帰省がかない両親にお会いできる
   老父老母はかくしゃくとしてお顔色もよく
   お元気なのに御髪だけがいつのまにか白い
   いにしえの孝子にはおよびもつきませんが
   心づくしの美味を調え食膳を囲みましょう
   ああ、人のおこないは世にかずかずあれど
   孝養にまさる美徳がまたとありましょうや
   思うたびに、いにしえの孝子のゆかしさが
   したわしく思えてならぬ今日このごろです
     
 とりあえず、第1作の「真珠の首飾り」を読んだ。肩の凝らない読みものであった。中国の当時の様子も窺えておもしろい。

下の写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 おぼこさん(左92歳 右93歳)

俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ●飲みやれ歌やれ 先の世は闇よ 今は半ばの 花盛り
  ●嘆きなる世も 月日を送る さても命は あるものか
  ●連れてござれや いづくへなりと たとへ葎の 宿なりと
  注:葎(むぐら) 八重葎などの総称 八重葎:雑多に生えているつる草。そういえば、百人一首にこんな歌があったのを記憶している。 八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり     恵慶法師 えぎょうほうし