守大助さんを支援する徳島の会役員会

 土曜日(19日)に守大助さんを支援する徳島の会役員会が、総会後初めて開かれた。新たに役員になった二人(看護師・助産師)も参加し、気持ちを新たにして今後の方針を決めた。
 会の初めは、3月11日に起きた地震の話ばかり。大助君のご両親は仙台市に住んでいるので、徳島の会の川上事務局長はやきもきして電話を何回もかけたが繋がらず、不安な日々を過ごしたそうだ。広島の会の三宅事務長さんが必死で電話連絡を続け、ようやく無事なことが判明した。三宅さんのブログ(http://ameblo.jp/daisuke-hiroshima/)では、被災した守さんの家の様子を紹介しているが、部屋中が物で散乱している。地震の大きさが窺われた。
 佐藤会長の息子さんたちも、宮崎県・岩手県に居住していて、大変な状況だったようだ。会長の家も福島市にあるのだが、これも大変だったようだ。知人の多くが被災していて、安否を確認するのに心を砕いた様子も話された。
 千葉刑務所でも、この地震に対しては受刑者が特別に手紙を出すことが許可されて、大助さんもご両親に手紙を送っている。守さんの母親から三宅さんに送られてきたその手紙コピーには、本来なら仙台にいて両親の手助けができたのにと、無念な心情がつづられていた。
 冤罪で千葉刑務所にいる大助さんにとっては、誠に受入れることができないことであると思う。
 福島原発の事故はなかなかおさまらない。危険度がますます高まっているように思う。フランスの原子力安全局は、今回の事故は国際原子力事象評価尺度(INES)で上から2番目の「レベル6」に該当するとの見解を発表している。しかし、日本政府はレベル5に該当していると評価しているが、果たして本当だろうか。政府は発表では必ずと言ってよいほど「直ちには危険性はない」と言う。裏返して言うと、「長期的には危険だ」と言うことではないだろうか。その長期的な危険性についても、国民に正しい情報を提供してほしいと思うのは私ばかりではないだろう。


 上の写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 93歳

俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○千里走るやうな 虎の子がほしや 遣るぞ此の文 江戸迄も
  ○水戸で名打(なうて)は せんばの川よ 橋のめでめに 鴨が住む
  ○よそに思ひし 昨日の菖蒲(あやめ) 今日は我が家の 妻となる