中国ペガソス列伝

中国ペガソス列伝―武則天から魯迅まで

中国ペガソス列伝―武則天から魯迅まで

 著者の中野美代子の本で、今までに読んだのは、「カニバリズム論」・「孫悟空の誕生」・「世紀末中国のかわら版」(共著)であった。
 本書は、20年前に購入して積読していたもの。副題に「武則天から魯迅まで」とあるから、魯迅に惹かれて購入したのだろう。二人のほかに、三国志演義で活躍している「張飛」、「フビライ・ハーン」「楊貴妃」「西太后」「水滸伝」などが取り上げられている。
 武則天は中国唯一の女帝。女帝になる以前から唐王朝を支配していた期間を含めると、50年にも及ぶ権力者であったのだから、すごい。唐王朝を排して「周」と国名を改めている。
 今、シリーズ物で読んでいるロバート・ファン・ヒューリック描くディー判事のモデル狄仁傑(てきじんけつ 630年〜700年)が仕えた人物である。権力闘争の激しかったこの時代、武則天はその権力を維持するために「告密」という制度を作っている。告密とは、秘密を暴いて告げることであるが、これが面白い。2つの方法があり、その一つは投書、もう一つは旅費を支給して全国から告密者を募集するというものだ。
 告密が正しい情報であることは必要ない。ガセネタ大いに結構なのである。要するに武則天の権力が保たれればよいのだ。多くの人物がこの制度によって告発され、命を失っている。こんな時代に宰相として狄仁傑は大きな仕事をし、天命を全うし彼の死に当たっては大変おしまれたというのだ。どうやって、宰相としての地位を得て、維持したのだろうか。
 著者はこう表現している。「久視元年(700年)7月、重臣の狄仁傑が没するまでは、国老とまで謳われたかれの剛直な政治力や清廉な人格によって朝政はいさいささかも揺るがなかった。狄仁傑の死後、「朝堂は空しくなった」と泣いて嘆いた老いた女帝の心に、にわかに死の影がしのび寄った」
 もう大昔になるが、武則天について読んだのは「武則天」(郭沫若)、「則天武后」(林語堂)、「中国后妃伝」(田中克己)であった。



 上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 唐じし


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○雨は降れふれ 雪降る間 忍ぶ細道 竹撓(たわ)む
  ○私(わし)とお前は 小薮の小梅 生(を)るも落(おつ)るも 人知らぬ
  ○岩の清水は 底から湧が 様の心も 底からか