B型肝炎訴訟で大阪へ

 3月24日・25日に大阪に行ってきた。一つは、24日に開かれた全国の原告団の拡大役員会のため。東京に震災の影響がまだあるための会場変更だった。会議では、和解協議がどうなっているか確認し、今後の運動をどうするか協議するためであった。発症後20年を経過した被害者を救済してほしいという議員への賛同署名は、2月下旬から3月11日までの短期間であったが、多くの議員の賛同を得ることができた。しかし、未曾有の大震災で、全国民が混乱状態である。私たちも同じである。なにが正しいか(どれが正しいかは判断は難しいが)判断を下せないでいる。夜は、大阪に残った人たちと独自の懇親会。翌日、札幌地裁で和解協議がある為、原告団代表・弁護団長などは不参加。新聞報道によれば、全く進展がなかったようだ。
 25日は、大阪地裁の裁判期日であった。12時から淀屋橋前で短時間宣伝行動を行い、1時半から裁判傍聴。70名ぐらいが参加。2人の原告と長野大阪弁護団長が意見陳述をした。いつ聞いても被害の実態は、被害者の身体だけでなく心・家族・労働を壊している。長野弁護団長の意見陳述は20年以上を経過した被害者の除斥に焦点を当てていた。2時半からは、裁判の報告集会(70名ぐらいが参加。支援者の学生たちによる朗読劇は、慢性肝炎を発症し20年以上経過した原告をモデルにしていた。民法724条による除斥の不当性を訴えていた。3時半からは6時過ぎまで、大阪の原告団会議が行われた。参加者のほとんど全員が、この時点での思いを語り、今後どう訴訟に関わっていくか協議した。


柳園の壺 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

柳園の壺 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 徳島から大阪へのバスの乗車中に読んだのは、上記の本。疫病が蔓延した都でのディー判事の活躍を描いている。巻末には、特別付録として「中国の探偵小説を語る」と題した座談会の要約があった。著者のロバート・ファン・ヒューリックと中国文学者・魚返善雄(彼の本で読んだのは「漢文入門」現代教養文庫)・辛島驍(読んだことがない)と江戸川乱歩らが話している。「宝石」1950年9月号に掲載された。中国探偵小説のルーツが語られていて興味深かった。



 上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 藤娘


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○与作丹波の 馬追ひなれど 今はお江戸の 刀差し
  ○博打(ばくち)打たしやる 大酒呑みやる わしが布機 無駄にして
  ○君に逢ふとて 朝水汲めば 濁る心か まだあはぬ