世外桃源 陶淵明

 Yさん中国語教材の「世外桃源」から、陶淵明でも読もうかということになった。

陶淵明―虚構の詩人 (岩波新書)

陶淵明―虚構の詩人 (岩波新書)

 この本の、冒頭に紹介されているのは「桃花源の記」。陶淵明は、西暦365年生れで427年に63歳で亡くなっている。他に取り上げているのは「五柳先生伝」「形影神」「山海経を読む」「挽歌詩」「自祭文」。著者が初めて陶淵明を書いたのは1958年の岩波書店発行の「中国詩人選集」(全18冊)の中の一冊である「陶淵明」。これは今でも一部は書店で購入できる。この、中国詩人選集は二集(全15冊)まであり、京都大学吉川幸次郎小川環樹が中心になって、若い研究者を動員して編集された。当時の著者は29歳であるが、他の執筆者も同年代の人達であった。私の漢詩とのかかわりは、この中国詩人選集から始まっていると言ってよい。どれも、古書店で購入した。もっとも、40年以上も前に読んだので、有名な詩のいくつかしか記憶にない。
 今回の「陶淵明」では陶淵明の人となりに焦点を当てているので、「園田の居に帰る」や「飲酒」などの有名な詩については紹介がない。酒と言えば「酒仙」と言われた李白が有名だが、陶淵明も酒が好きで130首ほど残っている詩のうち半数は酒について出てくるというから面白い。もっとも、あまり酒を飲み過ぎた(当人は貧乏であまり飲めないと詩の中では嘆じているものもある)からか、「酒を止む」という詩も残されている。「中国詩人選集4 陶淵明」から紹介しよう。

止酒(さけをやむ) 陶淵明
  居止次城邑 居は 城邑に次(やど)り
  逍遥自閑止 逍遥して 自ら閑止(かんし)す
  坐止高蔭下 坐するには高蔭(こういん)の下に止まり
  歩止篳門裏 歩するには 篳門(ひつもん)の裏(うち)に止まる
  好味止園葵 好しき味は 止(た)だ園葵(えんき)のみして
  大歡止稚子 大いなる歓(よろこび)は 止(ただ)稚子(ちし)のみ
  平生不止酒 平生 酒を止(や)めず
  止酒情無喜 酒を止むれば 情(こころ)喜び無し
  暮止不安寝 暮に止むれば 安らかに寝(い)ねられず
  晨止不能起 晨(あした)に止むれば 起くること能はず
  日日欲止之 日日 之を止(や)めんと欲するも
  営衛止不理 営衛(えいえい)は止むれば理(おさ)まらず
  徒知止不楽 徒(た)だ知る 止むるの楽しからざるを
  未知止利己 未だ知らず 止むることの己に利あるを
  始覺止爲善 始めて止むるのことの善なるを覚りて
  今朝眞止矣 今朝(こんちょう) 真に止めたり
  此從一止去 此の一止(いっし)従(よ)り去(はじ)めて
  將止扶桑挨 将に扶桑(ふそう)の挨(ほとり)に止まらんとす
  芿顏宿止容 清顏(清顔)宿容(しゅくよう)に止(とど)むることに
  奚止千蔓祀 奚(なん)ぞ止(ただ)に 千万祀(せんまんし)のみならんや


私は住まいを町の中におき、ゆったりのんびり暮らしている。
坐るのは、もっぱら高い木陰の下、歩むのは、もっぱらイバラの門の貧乏屋敷の中だけだ。
うまいものと言っても向日葵だけ。大きな喜びを私に与えるのはただ我が家のチビだけである。
ところで私は今まで酒をやめたことがない。酒をやめれば心に楽しみがなくなる。
日暮れに飲まぬと安らかに寝られぬし、朝に飲まぬと起きることができぬ。
止めよう止めようと毎日思っているが、止めてしまえば体の調子がうまくない。
ただもう止めれば面白くないことだけが目に見えて、止めたら自分の利益になるのに気がつかぬ。
が、止めるのは善いことだとやっとさとって、今日は本当に止めてしまった。
この禁酒をきっかけにして、仙人の世界扶桑の水辺に行って止まろう。
そしておとろえをみせぬすがすがしい顔でいつまでも姿は変わらず、千万年どころかそれ以上もながらえていよう。

扶桑:太陽の昇ってくる所に生ずると考えられた木、またその木のある仙境。

 立派なアルコール依存症であるが、実際、陶淵明は酒を止めたのだろうか。そうではないらしい。

 一海知義の本で我が家にあるのは「河上肇と中国の詩人たち」(岩波新書)。高名なマルクス経済学者も、中国漢詩の素養があったのである。



上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 鯛乗り戎 95歳


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  〇月の曙 この村雨に 今は忘れぬ 時鳥
  〇野辺に蛙(かわず)の 鳴く声聞けば ありしその夜が 思はるる
  〇磯の松が根 波打ちかけて 立つ名わりなき 恋の淵