徳島県母親大会と「冤罪」

 今朝の徳島は、久しぶりの晴れである。
 19日に、徳島市内で「第51回徳島県母親大会」があったので参加した。大会の午前中の分科会に「えん罪はこうしてつくられる」というのが、昨年に引き続いてあったためである。この分科会の参加者は18名。
 最初、塀本日本国民救援会徳島県本部副会長から、日本各地で起こった冤罪について説明があった。ここでは、「徳島ラジオ商事件」に関わって富士茂子さんの冤罪を晴らした徳島県の取り組みや、布川事件足利事件・チカン冤罪事件などについて話された。
 また、今徳島で大きく取り組まれている仙台北陵クリニックの筋弛緩剤事件で、冤罪で千葉刑務所に収監されている守大助さんを支援する取り組みについて、会長の佐藤さんから報告があった。佐藤さんは、事件の概要・北陵クリニックの設立の特徴・守大助さんを支援する徳島の会の活動等について話された。佐藤さんの話では、徳島の会が毎年総会で決めたことについて、きちんとその目標をやり遂げるために着実な活動をしていることが、会の発展に寄与していることがわかった。
 また、高知県から「白バイ衝突事件」で加害者とされた片岡さんと支援する会の大野副会長が参加されて、事件不当性について話された。裁判所は、片岡さんに事故の責任を押しつけた。当時バスに乗車していた生徒や教師、バスの後で車を運転していた校長たちが、片岡さんのバスは停車していて、そこに白バイが衝突したという話を全く信用せず、警察が後から出したバスのスリップ痕(これについては事故直後誰も見ていないし、4本のスリップ痕の長さもまばらであり、もしバスが急停車したとしたら乗車中の人も大きな衝撃を受けたはずだが誰もそういう発言をしていない)など、後からでっち上げた証拠を裁判所は採用している。片岡さんの話によると、交通事故での冤罪はたくさんあり、事故についての相談者も多いという。7月10日には高知で支援する会の総会を開き、冤罪を晴らす取り組みを強めると言う。
 分科会では、冤罪をなくすためには、①取り調べの全面可視化 ②全証拠の開示 ③血液などの証拠は再鑑定ができるように保存する ④若し不当逮捕されたら全面黙秘を貫く などの必要性が話された。
 午後からは、伊藤千尋さん(朝日新聞社記者)による講演「憲法をくらしに活かそう」があった。日本の憲法九条が世界各地で広がりつつあり、それが実践されていることがよく理解された。また、原発についてもそれに頼らない発電が行われている実情も話されたが、その一つとしての地熱発電では日本の技術が大いに活躍していることが話された。しっかりした技術を持っている日本が、アメリカの押し付けによる原発作りに固執している様子はばかげている。福島原発の大事故を受けても、菅政権は原発の再稼働・建設を言っていることの異常さを、国民は承知しているのに、官僚・政権・経済界は原発にしがみついている。

上の写真は、講演する伊藤さん。



 上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 三番叟 92歳


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○わたしや明け暮れ お前を思ふ お前私を 思やせぬ
  ○ 主の来ぬ夜は 早や寝て夢に 逢うて思ひを 晴らしたや
  ○ままよ田舎が まだ住みよかろ 主と二人で 暮らすなら