富士山登山

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 富士山に登ってきた。健生山の会で会員5名(私たち夫婦を含め)で15日午後7時に徳島を車で出発し、水ヵ塚駐車場についたのが朝の3時40分。仮眠をとって、6時のバスで富士宮口5合目まで行った。富士宮ルートの登山口から6時50分にいよいよ登山開始。
 富士登山には大きく分けて4つのコースがあるが、富士宮コースは山頂への最短コースで、標高差は1,330m。私たちはゆっくり登って行ったが、後から後から登山者が追い越して行く。9合目の宿泊予定の万年雪山荘についたのが11時35分。後は、あしたの登頂を目指してビール(350CC 800円)で乾杯であった。元気な人たちは、頂上を目指して行く。富士山登山はブランド化しているのだろう。他の山と比べると若い人が大変多い。中には運動靴で登る人もいるが、足には良くないと他人事ながら心配である。小学生の子ども達も、元気に登ってくる。とてもかなわない。
 午後3時に早い夕食(と言ってもカレーであるが)を済まして、小屋の前で同室になった人と話をしていると、若い外国人が大勢やってきた。仲間が、片言の英語で話しかけると、日本語で答えが返ってきた。焼酎を勧めると喜んで飲んだ。聞いてみると早稲田大学の国際教育学部の学生だという。どこの大学も学生の受け入れには苦労しているようだ。私の大後輩たちである。国籍を聞くと、いろんな国からきている。フランス・チェコアメリカ・スウェーデンオーストリアという。ある学生は、2週間ほど四国八十八カ所のうち、一番札所霊山寺徳島県・鳴門市)から25番札所の津照寺高知県室戸市)まで歩いたというが、行動力があり日本のことを知りたいという意欲にあふれた若者たちであった。
 翌日は深夜1時頃に起床して、1時38分から山頂をめざした。御来光を見ようという登山者のライトの列が下にも上にもつながってキラキラ輝いている。全く、テレビなどで見る光景そのものであった。何度か休憩を取りながら頂上の剣ヶ峰(3,776m)についたのが3時28分。真っ暗な頂上にはすでに多くの登山者が御来光を見ようとカメラを持って待ち構えていた。山荘で貰った弁当を食べるが、寒さで震えてうまく口に入らない。だんだん空が明るくなり始めてくるが、それでも次々と登ってくる。ツアーの団体も多く来ている。4時40分ごろにようやく太陽が顔を見せ始めたが、黒い点々に見えるお鉢めぐりの1周コースの周りにズラリといる人影から「オー!オー!」という歓声がわきあがった。
 帰りはお鉢めぐりで富士山の火口周縁を歩いたが、いろんな形の富士山が見られた。影富士も見られた。これは日の出の光を受けて、富士山が西の斜面にくっきりと映し出されるもの。しかし、近くで見る富士山よりも遠くから見る富士山の方が姿ははるかに美しいと思った。
 下りは、途中まで御殿場ルートを利用した。砂走りの所は、その名の通り走るように歩かないといけない。靴も服も顔も砂だらけになった。走り6合からは大砂走りにはいかず宝永山をめざした。宝永山(2,693m)を経て火口の底までおりて、宝永遊歩道から富士宮コースに戻り、前日の富士宮登山口についたのは9時45分であった。とにかく、天気に恵まれた登山で、一日遅れていたならば(今日は台風で大雨)どうしようもないところであった。温泉に入り徳島の我が家についたのは午後10時前であった。


2枚目の写真が、影富士。


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ●ちらりちらりと 降る雪さへも 積もり積もりて 深くなる
  ●真の話も まだせぬ中に 憎や鴉の 告げ渡る
  ●添はれまいとは そりゃ気の弱い 石に立つ矢も あるわいな