B型肝炎訴訟傍聴と原告団会議

 22日(金)に大阪地裁でB型肝炎訴訟裁判があったので参加した。今回は、東京で6月28日に国と原告団との和解ができて、初めての裁判であった。傍聴に参加した100名余りの原告・家族・支援者・弁護士達と基本合意の成立を喜び合った。一つ大きなヤマを越えたという安堵感が参加者の間にはあった。多くの被害者が病気を抱え、なかでも肝がん発症など重篤な体調にもかかわらず、国の不当な医療行政と闘ってきた方にとっては喜びであった。この間、大阪の原告も増えて185名という大所帯になったが、まだまだ43万人にも上る被害者の数からいえばほんのわずかであり、もっと多くの方が提訴できるよう既提訴の原告も力を尽くさなければいけないと思う。
 今回の裁判では基本合意を受けて、大阪原告の共同代表である小池真紀子さんと久永信行さんが意見陳述を行った。
 二人の意見陳述の一部を紹介したい。
 小池真紀子さんの意見陳述 活動の中で「余命」を悟る仲間に出会いました。あまりにも深刻すぎる被害の中でも、思いは一つと支え合ってきました。私たちは、自分のウイルス感染が、国が行った集団予防接種の注射器の使いまわしであることを知らされることなく、国が被害救済を放置する中、苦しんできました。この訴訟によって、これまで、ひとり理不尽な苦しみに耐えてきた仲間たちが、やっと一緒に声を上げることが出来たのです。この訴訟で私たちがめざしたものは、集団予防接種の際の注射器の使いまわしという国のずさんな医療行政のため、多くの患者が苦しんでいることを広く知ってもらうこと、それによって、①国の心からの謝罪と、②被害回復、そして③全てのウイルス性肝炎患者が安心して治療をうけ働き・生活していける社会を実現することです。この大阪地裁でも、裁判中に、4名の原告が肝臓がんをくり返すなどして、亡くなられました。B型肝炎ウイルスに感染させられた被害者だけでなく、その家族の人生も変えられてしまいました。この被害の深刻さに、国は二度とこのようなことが起きないように責任を果たして欲しいと思います。そして、被害者を必ず全員救済していただきたいと思います。それが基本合意を締結した国の責任です。(中略)私たち患者と家族が、今後、少しでも希望を持って生きていけるように、国は加害者として、責任を果たして欲しいと思います。そして、裁判官には、私たち患者が生きている内に救済を受けられるよう、そして、被害者が全員救済を受けることが出来るよう、和解手続きを迅速に進めていただくよう、心からお願いします。
 久永信行さんの意見陳述 私は、現在43歳で、生体肝移植治療を受け7年がたち、今も免疫抑制剤による副作用と戦いながら生活しています。(中略)18歳の頃、職場でB型肝炎である話をした時に、自分用のコップを持って来なさいとか、エイズと同じとか言われて、共有で使うものなどに触らないようにとかも言われて、なぜそんな事をされるのかわからず、それ以降は人前でB型肝炎である事は言えませんでした。(中略)国には、この苦渋の選択をした原告らの思いを理解していただき、協議機関設置後の恒久対策などで、被害者のみならず、多くの肝炎で苦しんでいる患者の為に、治療費の助成拡大や生活支援をしていただきたいと思います。6月28日の総理謝罪の席で、私は、総理に、根治する薬を作って下さいとお願いし、総理から、そうするべく厚生労働大臣に指示しますとお答を頂きました。治る病気になれば差別偏見もなくなり、将来的な医療費削減にも繋がると考えておりますので、実現するべく国には対応していただきたいと切に願います。
 また長野弁護団長は、基本合意の内容を説明しその実現を求めるとともに裁判の迅速な進行で被害者救済が早期にできるよう要請した。
 裁判の後、報告集会・記者会見・原告団会議が行われた。
 原告団会議では、7月17日に行われた「全国原告団代議員総会」で承認されたことの報告があった。また、弁護団から①基本合意の内容と意義 ㋐国の法的責任を認めての正式な謝罪 ㋑被害者の救済制度の確立(個別救済) ㋒全肝炎患者を対象とした治療費助成、治療体制の充実等(恒久対策)、真相究明再発防止の約束と、そのための原告団との協議の実施。 ②原告団の今後の活動として ㋐既提訴原告の個別和解の早期成立 ㋑全ての被害者の救済=相談・提訴・個別和解の活動(発症除斥者の立法解決を含む) ㋒全てのウイルス性患者が差別なく安心して治療・生活ができる施策(恒久対策)の実現(国との協議、肝炎対策推進協議会) ㋓真相究明の活動と再発防止策の実現(第三者委員会、国との協議) ③今後の裁判と個別和解の進め方 ④恒久対策の活動 等について説明があった。そして、大阪原告団としてこれらにきちんと対応できるように各種役員を選出した。引き続き、小池さんと久永さんには共同代表として大変な任務をお願いした。
 総会の後、懇親会が行われたが、今までの苦労を語り、今後の活動についても語り合った。充実した一日であった。これからが、本番



 上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 張子面


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ●往くも返るも 忍ぶのみだれ 限り知られぬ 我が思ひ
  ●儘よ三度笠 横ちよに被り 旅は道連れ 世は情け
  ●勤めする身は 田毎(たごと)の月よ 何所へ誠が 映るやら