「私の南アルプス」と原発

 昨日も徳島は大雨であった。レタスの苗を植え始めた農家には恵みの雨であったようだ。
 不破哲三の「『科学の目』で原発災害を考える」を7月に読んだが、原子力原発の抱える深刻な問題を国民目線で語ったパンフレットであった。
 もともと、原子力の利用はその最初が核兵器を作ることで、動力炉の開発も戦争目的で作られている。アメリカが最初に核兵器を作ったが、ドイツも日本も太平洋戦争中に開発を急いでいた。アメリカは、広島・長崎への原爆投下は、戦争を早く終結させるために必要だったと言っているが、それは全くの詭弁である。戦争の帰趨がすでに定まっていることが明らかな時期の原爆投下は、アメリカが戦後政治を有利に動かしてゆくためのものだったことは、誰もが認めていることである。
 今回の福島原発の大事故は、原発が「未完成」で危険なものだったことを明らかにしている。政府も電力会社も「安全神話」をふりまき、設置自治体には巨額の金をばらまいて、原発反対の声を押し殺してきた。
 政府や電力会社・御用学者は、原発事故発生時からその事故の危険性を過小評価した形で、マスコミを通じて宣伝してきたが、多くの国民がそのまやかしに気がついてきている。日本共産党は、原発建設当時からその危険性を追及し、その後も一貫して原発からの撤退と安全優先の原子力管理体制の確立を言い続けてきた。この主張が今では国民世論の大勢となっているが、野田政権始め自民党民主党は何の反省も無く「原発の再稼働」をさせようとしているが、財界のお先棒を担ぐ姿勢と言わざるを得ない。

 不破哲三は以上のようなことばかり書いたり話したりしているわけではない。

私の南アルプス (ヤマケイ文庫)

私の南アルプス (ヤマケイ文庫)

 不破哲三が以前同じ題名で書いた本がヤマケイ文庫の一冊として再登場した。この本では、58歳の時から始め10年間かかって登ってきた南アルプスについての思いが書かれている。私が山歩きを始めたのは60歳から。二女夫婦が夏の三ヶ月間、南アルプス赤石岳近くの「百間洞山の家」で管理人をしているので、そこに登ってみたいと考えたからである。健生山の会の人たちに連れて行ってもらったのだが、登山の素人にとっては大変きつかった。
 不破哲三の文章は、科学的社会主義の理論を解りやすく語り説くのと同じように、平易な文章で読みやすい。生真面目なそれでいてユーモアのある文章である。



 上の写真は我が家の張子面 うさぎ 姫路張子


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○闇の丸木橋 様となら渡ろ 落ちて流れて 後の世も共に
 ○木曾の丸木橋 君となら渡ろ 落ちて死ぬとも 諸共に