桂林漓江下りと陽朔 その一

 10月16日から19日まで、連れ合いと「桂林漓江下りと陽朔 4日間」に行ってきた。天候はよくて快適な旅であった。3泊4日とはいえ、実質的には2日間が現地での観光である。関空からは広州まで4時間、広州から桂林まで50分の飛行である。16日は16時発の飛行機だったため23時頃に宿に着いたので、ただ寝るだけ。
 17日は桂林市内観光。穿山岩・七星公園・象山公園・月塔と日塔などを巡った。七星公園には動物園が昨年開園されて、パンダが3頭いた。中国では桂林の観光開発に力を入れているようで、その政策の一環としてのパンダの登場ではないかと思った。また公園には元辰洞という鍾乳洞があり見学した。夜は、「漓江夢幻」と題したナイトクルーズ。桂林の中心広場に近い日月碼頭(埠頭)から出発して杉湖・榕湖・桂湖・木龍湖まで行って折り返してくるものだ。パンフレットによると、この水上遊覧は唐代から始まって宋代にもっとも盛んであったという。その再現がこの「漓江夢幻」とでもいうのだろう。両岸がライトアップされていて緑や黄色に照らされている。いくつもの橋がかかっているのでその下をくぐりぬけていく。橋もアメリカの金門橋を模したものなど、世界各国の橋や有名な構造物のミニチュアがある。これはどうもいけない。以前京都にもそんな世界各国の橋をかけようとして反対運動がおこり、京都の景観が保たれた事があるが、中国の場合は政府が率先してそんな愚策をやるのだから始末に負えない。
 少数民族の多いこの地域の宣伝か、両岸でいくつもの民族音楽が演奏されていた。
 観光産業がこの桂林の80%を占めているが、すばらしい景観は保って欲しいものだ。
 18日は待望の漓江下りであった。漓江は桂林の北にある興安県の猫儿山に源を発し、桂林、陽朔、平楽、梧州を経て西江と合流した全長437㎞の川である。桂林から陽朔に至る83㎞がが最も景色が良い所で、パンフレットには「她酷似一条青羅帯、畹蜒於奇峯之間。沿江風光旖旎、碧水索回、奇峯倒景、深潭、山泉、飛瀑参差、構成一幅絢麗多彩画巻、人称、”百里漓江、百里画廊”。(漓江は一本の青い薄絹の帯のようで、奇峰の間に延々と流れている。川沿いの景色はゆったりとして、緑の水がめぐり、奇峰が影を落とし、深い淵、山の泉、滝が飛び散り、一幅のきらびやかで美しい絵巻物をなしている。人は、「漓江は絵のよう」と言っている。
 唐代の詩人韓愈は「江作青羅帯 山如碧玉簪」(川は青羅の帯をなし 、山は碧玉の簪のごとし)の詩句を残した。


   送桂州厳大夫(韓愈)
  蒼蒼森八桂 茲地在湘南
  江作青羅帯 山如碧玉簪
  戸多輸翠羽 家自種黄柑
  遠勝登仙去 飛鸞不暇驂



   桂州の嚴大夫に送る 韓愈
  蒼蒼と八桂に森す,茲れる地は湘の南に在る。
  江は青羅の帶をなし,山は碧玉の簪のごとし.
  戸多し翠羽を輸し,家に自り黄甘を種える。
  遠く勝に仙を去り登り,飛鸞す驂るに假をあたえず。


 青々と茂っている木々は伝説の月の宮殿の森のように茂っている。そういうように茂ったこの詩は湘江の南にある。
 川は青い薄絹の帯のようになっており、山は碧玉の簪のように美しい。
 家々の戸口からはカワセミの衣類箱がとりだされ、家々にミカンの木が植えられている。
 遠くはるかな桂林の仙人の世界に遊べば、鳳鸞が乗せてくれるのに休みさえない。




上の写真は七星公園の動物園入り口



月塔と日塔



パンダ



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○洲山の亀女(かめじょ)は 洲山の狐 尾を振り尻振り 人を振る
 ○姑嫁振る 嫁下女を振る 下女は釣瓶の 縄を振る