囲碁・木谷一門扇子

 先日の徳島市で開催された日肝協総会、多くの人にお世話になった。そのお一人が北九州から来られたTさん。総会前日に徳島に来ていたので、総会資料の袋詰めなどを手伝ってもらった。当日は、徳島の事務局が手薄で受付が混んでいたので、自主的に香川の人たちと一緒に手伝ってくれた。ありがたいことである。
 こちらが大変お世話になったのに、「お世話になりました」とのメールを頂いた。そのうえ、私の名刺に「日本棋院 囲碁4段」とあるのを見て、父親が北九州で日本棋院支部を運営しているとのことで、棋士の扇子を送ってくれるという。早速、小林光一九段の扇子を所望した。その返事のメールによると、父君は木谷実門下の第一期生だという。小林光一九段(棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇など、数々のタイトル連覇記録を樹立。日本の現役囲碁棋士の中で、最も多く名誉称号資格を持つ。棋道賞「最優秀棋士賞」7回、秀哉賞7回。)は木谷禮子の夫君。何かしらの縁を感じた次第である。


 写真は上から、小林九段・1992年著名棋士サイン・木谷九段の扇子。

 古い囲碁ファンなら木谷実を知らない人はいない。囲碁雑誌や、彼について書かれた本などで、その優れた棋士としての力、棋士を育てる能力と愛情(木谷道場の運営については妻の美春さんの功績がが大きかった。1968年に、囲碁界に優れた寄与を成し遂げた人に贈られる大倉喜七郎賞を木谷実と同時に、美春夫人が受賞したことでも理解される)
 ウィキペディアによると、「若くして天才と呼ばれ、1924年日本棋院が設立されるとすぐに参加している。そこで中国から来た呉清源と出会い、後に彼は友人でありかつ最大の好敵手となる。木谷と呉は1933年から1936年ごろに「新布石」と呼ばれる革新的な序盤理論を発表している。彼らは1939年から「世紀の対局」とも称される「鎌倉十番碁」を打ったが、その結果は呉の勝利に終わっている。本因坊には3度挑戦して獲得は失敗するなど大タイトルには恵まれなかったが、新布石を初めとした新機軸を多数創案し、その信念に裏打ちされた独創的スタイルは碁界の尊敬を集めた。また全国から優秀な少年を集めて育成した「木谷道場」からは多くの大棋士が巣立ち、昭和後半のタイトル戦線をほぼ独占するほどの勢いを示した。その功績は計り知れない。」
 自宅の木谷道場には、多くの少年少女を住まわせて切磋琢磨させた。囲碁だけでなく、しつけにも厳しかったようで多くの大棋士が育った。今の囲碁界の隆盛の基礎を
築いたと言っても過言ではない。
 ちょっと名前を挙げただけでも、岩田達明・大平修三・大竹英雄石田芳夫・趙南哲・趙治勲・金寅・加藤正夫宮沢吾朗武宮正樹小林光一木谷実の三女・禮子の夫)・小林覚・小川誠子などなど。孫弟子も含めると、そのすそ野は広大である。多くの、棋聖・名人・本因坊を輩出している。
 神奈川県の平塚市は木谷一門にとっては道場があったりしたゆかりの地。市では平塚市民センター市民ロビー内に「木谷實・星のプラザ」を開設しているという。毎年、囲碁まつりも行っている。一度は寄ってみたいものだ。
 Tさんから送ってきたものを見て驚いた。小林光一九段の扇子だけではなく、木谷実九段、木谷門下500段突破記念の扇子など7本、ミニ衝立、テレカなど。今では貴重なものもあり、全く恐縮してしまった。アマチュアのヘボ4段にとっては、身に過ぎるものだろう。
 ありがとうございました。Tさん。



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○思ひ念力 岩でも 通す 何のそなたの 一重垣
 ○思ひ通へば 千里の浜も 障子一重と 思ひ来る