「年賀状の戦後史」 内藤陽介

 3日には高越山、昨日は大麻山に登ってきた。どちらも年末に登ったのだが、高越山は年末の雪がとけて山頂に少し残っているだけであった。大麻山頂上は気温1度。下の大麻比古神社には、まだまだ初詣の人が多くいた。猿も屋台が多く出ているので、余り物の食べ物があるのか、すぐ横の河原に十数匹が遊んでいた。長女と孫たちが水戸に帰って行って、いつもの静かになった我が家である。

 正月なので本書を読んだ。内藤陽介の本で今までに読んだのは、「外国切手に描かれた日本」「切手と戦争」「反米の世界史」「これが戦争だ」「満州切手」「皇室切手」「事情のある国の切手ほど面白い」。どれも切手を通して社会や政治が理解されるもので面白い。
 年賀状の発行数のピークは平成10年度の41億9,545枚と言う。平成23年10月1日に発行された年賀はがきの枚数は35億6,000万枚というから、だいぶ減ってきた。単純計算で日本人1人当たり30通程度になる。我が家では、夫婦で160枚ほど差し出したが、受け取ったのは146枚。年賀状では、日頃御無沙汰にしている親戚・友人・知人に対して、1年間の我が家の近況を報告する内容にしている。
 年賀状・年賀はがきのデザインについての話は、時の政治状況によって変動して、特に値上げの時期については、もろにその影響を受けていることが理解される。
 年賀状の記念切手は郷土玩具をデザインしたものが多いが、それについても各地域が売り込みをしていて、そこに郵政族の議員や郵政大臣が絡み合って、発行の内容が左右されている。プリントごっこやプリンターの普及、消長など時代の流れによって葉書の材質も変わってきているが、我が家でも20数年前は謄写版印刷(もう死語になっているのだろう)であった。今はプリンターで印刷し、表書きはプリンターでせずに連れ合いの手書きである。
 年賀切手でいえば、1959年(昭和34年)は高松の郷土玩具「鯛えびす」であった。かつて高松では嫁入りに際しての土産物として「嫁入り人形」を持参していたが、その一つに鯛えびすがあった。しかし、何と言っても一番有名なのは「奉公さん」。
 年賀切手の鯛えびすの元の人形は宮内フサのものであった。


 我が家にあるのが下の写真のもの。

 下の写真は「奉公さん」大きいものは55センチもある。


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○佐倉宗吾の 子別れよりも 主との別れが 猶ほ辛い
 ○清十郎殺さば お夏も殺せ 生きて思ひを さしよよりも
 ○捨てた其子を また懐に 抱けと響いた 霜の鐘