「語文」 中国の小学校国語教科書

 今日は午後から、大阪弁護団によるB型肝炎訴訟の相談会が徳島市のあわぎんホールであったので、K事務局長と参加した。少しでも多くの被害者が救済されることを望んでいる。来月19日も1時半から開催される予定。
 今、「語文」の小学校2年生下巻を読んでいる。中国語学習の一環である。ネットで調べて見たら、「中国・小学校国語教科書の詩」という論文が出てきた。足立悦男・郭丹の研究である。そこでは、中国の国語教科書が「古詩文背誦篇目」(唐宋時代の詩の暗誦)を重視していることが書かれていた。小学校では80篇の古詩詞が選ばれて、暗誦することが奨励されている。
 ちなみに、2年下巻では白居易の「草」(賦得古草原送別)、楊万里の「宿新市徐公店」、北朝時代の民歌「勅勒歌」、李白の「望廬山瀑布」、杜甫の「絶句」が掲載されていた。
 翻ってみるに、日本の国語教科書はどうなっているのだろうか。万葉集古今和歌集奥の細道、柳樽などに残されている、和歌、短歌、俳句などがどれほど掲載されて、暗誦するように奨励されているのだろうか。古典文学に親しむことは、日本人の自然や人物に対するもののとらえ方などを学び、その人の人生を豊かにしてくれると思うのだが。日本の教科書の詩では、現代口語自由詩が多いようだが。
 「語文」には「雷鋒」のことも紹介されていた。彼は文化大革命が華やかりしころに大いにもてはやされていた人物だ。中国人民解放軍の兵士でわずか22歳で亡くなった。その短い人生の中で、中国人民と党に一命をとして献身したことが賞賛されている。彼は1940年に極貧農の子として生まれ、1962年8月15日に殉職した。彼の死後当時の中国の指導者たちは彼の生き方に学べと強調した。毛沢東は「向雷鋒同志学習」と言ったそうだ。
 先日、徳島に二カ月に一回の高血圧の受診に行った際、時間があったので古書店「モウラ」に立ち寄ったのだが、何の偶然か知らないが「雷鋒の日記」というものを見つけたので購入した。1964年7月鳩の森書房刊である。新書版で119ページの本書は、1959年某月某日(調べてみたら10月21日のようである)から始まって1962年8月10日の日記で終わっている。生真面目で一途な彼の生き方が表れている文章で、向学心も旺盛である。全てが人民と国家・党への献身で貫かれているが、現代の中国の若者に果たして通用するかと言えば、大いに疑問である。
 毛沢東選集(中国では全4巻 日本では三一書房が全7巻で出版した)から学んだ文章が日記のいたるところで見られ、毛沢東の言葉を金科玉条として片言隻句もおろそかにしない彼の態度には、到底ついて行けない。
 しかし、小学校2年生の下巻の教科書に雷鋒のことが書かれているのは、この頃から子どもたちに国や他人に対して尽くすという気持ちを持たせようと意図しているのだろう。しかし、中国でも貧富の差が大きくなり、自らが働いたことが評価されにくくなっている現在では、「雷鋒精神」という無私の心はとても中国政府の意図するようには受け入れられないだろう。



上の写真は我が家の張子面 八栗張子(高松) ひょっとこ(漆原馬須雄作)



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○賤(しづ)の緒玉巻(をだまき) 繰り言いふて 深く入鹿の 奥御殿
 ○一夜会はねば 猶ほ深草の せうしやうなりとも 顔見たや
 ○野暮な屈原 泪羅(べきら)に沈む 私や靨(えくぼ)に 身を投げる