沖縄民話集
- 作者: 仲井真元楷
- 出版社/メーカー: 社会思想社
- 発売日: 1974/12
- メディア: 文庫
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略歴には、1908年沖縄県生まれ、1928年沖縄師範学校二部卒業とあった。本書では、「ここに収録したのは廃藩置県以前の、琉球王国時代のものであって、それもできるだけ古いものを記述した。」とあって、「沖縄人の生活や信仰や民族性を推察するよすがになると思う。琉球王国の歴史の真実があるいはこの民話に内包されていると信じる。」としている。
出版当時1,000余り残っていたと言われている民話から、98編収載されている。世の始まりの話、神としてまつられた人、愛情問題、賢者と愚者の話、などなど、沖縄らしさの話が満載であった。
せっかくなので、短いのをひとつ紹介しよう。
「森(むい)をかついできた男」
森というのは土のもり上がった丘のことである。
慶長14年(1609)に薩摩が琉球に攻め入ってその翌々年に、奄美大島は薩摩に分けられてしまった。
この話はそれ以前のことである。
奄美大島の大男が、二つの森を天びん棒でかついで、琉球の王様にさし上げるために国頭村の南の方までやってきた。
大男はここで一ぷくした。前に見える白砂に青い海がひろがって、大島の故里を思い出した。今やっと琉球についてここまで来て、もう一息というところである。大男は立ち上がって天びん棒に肩を入れたとたん、天びん棒が折れてしまった。
大男は、国頭の山や林をかけ廻って、天びん棒にする木をさがした。しかし何日も何日も山林をさがして歩いても、これはと思うものは見つからなかった。大男はとうとうつかれはててしまって、大島に帰って行った。
二つの森はそのままとり残されてしまった。桃源と鏡地の間にある牛森と馬森がそれである。牛森は牛の形によくにているし、馬森はは馬ににているので、その名がつけられた。
以前、「沖縄の凧」「沖縄の中国芸能」(ひるぎ社)を読んだが、これらは中国文化の顕著な影響が沖縄に残っていることを教えてくれた。
上の写真は我が家の張子面 ひょっとこ(広島 常石張子)
俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○新潟女郎衆は 碇か綱か 今朝も出船を 二艘(そ)止めた
○金が敵か 大津の女郎は 雪駄直しが 一の客
○新発田(しばた)八萬石 荒地になろが 新潟通ひは 止められぬ