「阿片王 満州の夜と霧」と東亜同文書院

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

 2005年7月に出版された本書、文庫化に当たりその後に解ったことなどを加筆修正している。あとがきで、「阿片王」は「満州の夜と霧」の第一部として書かれたものでとしていて、第二部で「甘粕正彦 乱心の曠野」が出版されている。これもそのうちに読んでみたい。
 著者の佐野眞一は、現在冤罪事件として大きく取り上げられている「東電OL殺人事件」についても書いている。
 清朝末期にイギリスは中国から茶を大量に輸入していたが、その対価として対中輸出できる有力な産品を持たなかった。そこで困った東インド会社は植民地としていたインドでアヘンを栽培して、それを中国に輸出することにした。清朝はアヘンの輸入を禁止したが、それをきっかけとして阿片戦争(1940年〜42年)がおこり、中国への日本も含め諸外国の侵略が拡大した。
 日本政府は悪しきイギリスの先例から学び、阿片を中国(満州)支配の道具としてきた。本書の主人公里見甫(はじめ)は政府・軍部から信任を受け阿片密売の総元締として暗躍して来た。本書では、里見と関わってきた有名・無名の人たちとの交流が詳しく書かれている。だが、私にはあまり里見という人物がはっきりしてこなかった。多くを語らない彼の姿は未だに謎を残している。
 里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)は、1913年9月に福岡市の留学生として当時上海にあった「東亜同文書院」に入学している。愛知大学は東亜同文書院を前身として設立されている。
 東亜同文書院近衛文麿元首相の父・近衛篤麿らによって1901年に開校されていて、各府県派遣の特待官費留学生のみ入学を認められていたようだ。しかし、中里竜夫の「革命の上海で」によると中国人の学生もたくさんいたようだ。保守から革新まで様々の学生がいたようで、里見のように闇の世界で満州国成立に大きな役割を果たした者もいれば、戦後日本共産党に入党して国会議員になった神谷信之助などなど多士済済であった。
 我が家にあった東亜同文書院関係の本を少し調べてみたらは「東亜同文書院生」(山本隆 河出書房)「死の壁の中から」(中西功 岩波新書)「上海30年」(尾崎秀樹 岩波新書)「革命の上海で」(西里竜夫 日中出版)「朝、上海に立ちつくす」(大城立裕 講談社)であった。



 我が家の張子面 ひょっとこ(土佐面)


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 〇金が敵か 大津の女郎は 雪駄直しが 一の客
 〇新発田八万石 荒地になろが 新潟通ひは 止められぬ
 〇琉球へおぢゃるなら 草鞋を履いておぢゃれ 琉球は石原 小石原