魯迅の言葉

 

魯迅の言葉

魯迅の言葉

  監訳者の中村愿の略歴を調べてみたら、私とほぼ同じ年代で、1947年福岡県生まれとあった。何冊か中国関係の本を書いているようだ。また、雑誌「中国」の編集者ともあった。懐かしい雑誌名であった。
 雑誌「中国」は1967年12月に創刊された。編集は「中国の会」でその責任者は竹内好。110号まで続いていたが、我が家の書棚にあったのは徳間書房の創刊号の49号から106号まで。創刊号の『雑誌「中国」と「中国の会」のこと』という文にこの雑誌が刊行された経緯が書かれている。48号までは、いろんな事情があるようだが基本的には、会員に対して配布して来たようだ。49号からは徳間書店が発行をひきついでいる。机のなかも調べてみたら、「中国」の第5号が出てきた。今はない普通社から出されていた中国新書(1963年2月刊の竹内好著「現代中国論」が最初)の一冊の中に付録として入っていたものだ。私の中国理解の一助になった雑誌である。

 本書は、中国の出版社と平凡社が、中国語と日本語を併記して共同出版している。中国で出版された「魯迅箴言」の365句の中から130句を選んで本に仕立てている。中国語辞書を片手に読んでみた。最初に読んだときの思いも、少しずつ甦ってきた。
 共訳者は、二人。丹羽朋子(にわ ともこ)神奈川在住、編集・翻訳業。文化人類学の研究者でもある。中国の剪紙の研究もして本も出版している。 もう一人は、韓氷(ハン ビン)という女性。 北京在住、編集・文筆業。 中学校から日本語を学び、大学では中国文学専攻。日本にも留学し、 在日中国大使館でも勤務していた。

 私が魯迅を読み始めたのは、大学時代。岩波書店の「魯迅選集」であった。貧乏学生であったので、全13冊は一冊ずつ神田や早稲田の古書店で入手した。気に入った文章のところには、線が引かれていた。


 下の文は、小説集「吶喊」の中から「故郷」に出てくる一文。今はどうか知らないが、教科書にも出ていた。

希望是本无所谓有,无所谓无的。
这正如地上的路;
其实地上本没有路,走的人多了.也便成了路。


希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。
それはまさに地上の路のようなものだ。
本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。


 今回読んでみて気になった文は、下記の通り。

 「わが子を解放しようとする父母には、一種の能力が必要である。自身はすでに古色に染まっていようとも、独立の本領(ちから)と精神を失うことなく、幅広い趣味と高尚な楽しみをもつことだ。」


 

 上の写真は、我が家の張子面。 因幡の白兎(鳥取・倉吉)


 俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 〇主の為なら 米山様へ 跣(はだ)し参りも 辛か無い
 〇行こか参りまセウか 米山薬師 一ツア未の為 主の為
 〇私や備前の 岡山育ち 米の生る木を まだ知らぬ