B型肝炎訴訟大阪原告団役員会

 29日(日)午後5時からB型肝炎訴訟の大阪原告団役員会が、大阪市内であったので参加した。役員会では個別和解が始まって、原告団の役割も変化して来たので、今後の原告団の活動について話し合った。裁判の場での個別和解の推進、各地で相談会を開くなどして原告の掘り起こし、国への恒久対策実現の要求、新たな提訴者をどう原告団活動に参加させるのかなど、課題満載である。今までの体制では、400人を超す現在の大阪原告団の活動は前進できないと感じた。
 役員会では、提訴状況が報告された。昨年末現在で、全国の原告者数は2,154人。そのうち大阪は一番多い441人であった。12月現在の和解成立者数は121名。大阪では15名の和解成立だが、2月10に期日があるので和解者数は少し増えるだろう。この日は、裁判終了後原告団総会も開かれ、役員会で論議したことが提案される予定である。多くの原告が、様々な分野での活動に参加して行動することが、今後の提訴者を増やすうえでも、恒久対策前進のうえでも大事であると思った。
 29日は、我が家近くまで行く高速バスがもうなかったので、地下鉄谷町線東梅田駅近くのホテルに泊まった。翌日、近くに「お初天神」(露天神社)があったので立ち寄った。

 お初天神社のホームページには、下記の紹介があった。
 「お初天神」の名で広く知られる当神社は、正式名称を露 天神社(つゆのてんじんしゃ)といいます。元禄16年(1703年)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門人形浄瑠璃曽根崎心中」を書きました。以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったのです。
 「曽根崎心中」は、元禄16年4月7日に起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が当神社の「天神の森」にて情死した事件をもとに、近松門左衛門が劇化したものです。この作品は当時の人々の間で大評判となり、当神社にも参詣回向の老若男女が大勢押しかけたといわれています。

 恋の結ばれ方が心中という結末に終わったこの物語、現在では縁結びの神様となったようである。

 写真は、お初天神社と絵馬。

 さらに、高速バスの乗車時間まで時間があったので、阪急三番街近くにある古書店街に立ち寄った。そこで見つけたのが「良寛語釈 大智偈頌訳」(飯田利行著 1911年〜2004年 昭和63年刊 大法輪閣)であった。
 全く仏教(ここでは禅宗)に門外漢で興味を持っていない私、最後まで読みとおせるかはなはだ心もとないが、なぜ購入したかについては動機がある。
 著者の飯田利行(いいだ りぎょう)は、禅宗の高名な学僧で、駒澤大学昭和16年)や専修大学二松学舎大学などで教鞭をとっていた。その先生が、どういうわけか1953年(昭和28年)から13年間(昭和41年まで)私が通った東京都立田園調布高校昭和36年入学)で、漢文を教えていたのである。曹洞宗の開祖・道元の「正法眼藏」や夏目漱石の詩、良寛の詩などについての著書をたくさん書いている。
 この先生、夏休みや冬休みになると宿題を出し、岩波文庫夏目漱石の「草枕」、幸田露伴の「運命」、懐奘(えじょう)禅師の「正法眼藏随聞記」の感想文を書かせたのだ。私もその一人であった。
 「正法眼藏随聞記」の感想文については、後年「高校生と正法眼藏随聞記」(邑心文庫 2001年2月)と題した本を出版し、私達が書いた感想文に「批評・感想」を加えている。その批評・感想は、読んでみると先生の温かい心、生徒達をじっくり育てようという気持ちがあふれている文章であった。勿論、私の中途半端な駄文に批評・感想を加えられることはなかったが。

良寛語釈 大智偈頌訳(だいちげじゅやく)

良寛語釈 大智偈頌訳(だいちげじゅやく)


 俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 〇私や長良の 船頭の娘 船も艪も漕(こ)ぐ 櫂(かい)も漕ぐ
 〇私や太田の 金山育ち 他(ほか)に木は無い 松ばかり
 〇忍路(おしょろ)高島 及びも無いが 強(せめ)て歌棄(す)つ 磯谷まで


 写真は我が家の張子面 烏天狗