「被爆を生きて」 林京子 と映画「ショージとタカオ」

 昨日は、映画「ショージとタカオ」の上映を成功させるため(守大助さんを支援する徳島の会と国民救援会徳島県本部共催)に前会長のSさんと、チケットの普及活動を行った。とにかく、採算に合うチケットを販売しないと赤字になってしまっては大変である。知り合いに、無理をしてでも購入してもらった。
 映画のチラシによると布川事件とは、「1967年(昭和42年)8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川で独り暮らしの男性が自宅で殺害されているのが発覚。警察は2人組の男という推定をもとに強盗殺人事件として捜査を進め、同年10月に別件逮捕された桜井昌司さんと杉山卓男さんが、警察の取り調べで殺害と現金約10万円を強奪したと『自白』。裁判で2人は無罪を主張したが、最高裁で1978年に無期懲役が確定。83年獄中から再審請求するも93年に最高裁は棄却。拘置所と刑務所、通算29年間囚われ、96年11月相次いで仮釈放となった。仮釈放後も再審請求し、2009年12月に再審が決定。翌年7月再審開始。」とあり、昨年6月に無罪が確定した。
 長女の連れ合いも、水戸で2人のえん罪を晴らす取り組みをしていたので、他人事ではないえん罪事件である。上映の成功が、もう11年間もえん罪で囚われている守さんの再審開始決定につながることを望んでいる。
 この映画は「布川事件」でえん罪を晴らした二人のドキュメンタリーである。
 映画は、3月20日(祭)10時と14時の2回、徳島ホールで上映される。


 

被爆を生きて――作品と生涯を語る (岩波ブックレット)

被爆を生きて――作品と生涯を語る (岩波ブックレット)

 福島原発事故、国はどこまで正しい情報を国民に伝えているか、はなはだ疑問である。しかも、重大事故発生時には原発をコントロールできない今の技術下で、さらに原発の推進を図るとは驚きである。日本経済の維持・発展には欠かせないという発想を変えるべきで、国民はそれを許さない運動を強めている。徳島でも、3月11日には「さよなら原発実行委員会」が結成される。
 四国では伊方原発愛媛県伊方町にあるが、その周辺には活断層がある。現在1号機(1977年稼働)から3号機まで点検のため運転停止になっているが、そのまま稼働しないでほしいものだ。

 林京子は学徒動員先の長崎三菱兵器工場で被爆した。芥川賞を受賞した「祭りの場」(1975年 未読)以来、多くの作品んで被爆体験を扱っている。私が読んだのは「上海」と「ミッシェルノ口紅」(中公文庫)。林の著作の原点は、「被爆」と子ども時代に生きた「上海」。林は、「ヒバクは被爆者の『特権』ではなく、核に対する『意識』問題」と語っている。アメリカで最初に核実験が行われたトリニティ・サイトの「グランド・ゼロ」の地点に立った時、「歩いてうちに、私、全身がガタガタ震えてきて・・・・。子供のときに泣きじゃくることがありますよね。一生懸命こらえていますから、声は出ませんけど、あの泣きじゃくる状況です。(中略)なぜこういう感情になったのか、自分でもわからないです。(中略)果てしなく広がる広野には立木一本ない。全く音がない、風がない、草の実がはぜる音もしない。大地が死んでいるという実感でした。」とも語っている。
 広島・長崎・ビキニ環礁での被爆に続いて、福島での被爆。もっとも、原発施設ができて以来、各地で見えない形の被爆は続いている。
 内部被ばくについて、国は直ちには大きな健康への影響はないと言っているが、果たしてそうなのだろうか。
 同じ長崎で被爆した友達について「長崎の友だちの訃報を一番多く耳にしたのは、30から40代の子育ての最中でした。上海の友だちにはそんなに若い年で亡くなった人はいません。長崎の友だちはあの人も、この人も、と死んでいる。それも脳腫瘍や、甲状腺や肝臓、膵臓のガンで亡くなっている。それらのほとんどが原爆症の認定は却下でした。」
 これから何十年か後も、国は福島原発事故の影響ではないと言うのであろう。



我が家の張子面 鬼


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○花の盛りを 訪ひ来る胡蝶 嵐に揉(もま)れて 遠ざかる
 ○花に逢ひ初(そ)め 月夜に焦がれ 雪に待つ身の 眼も合わず
 ○花よ咲くなよ 蕾で居れよ 咲いて小枝で 折られなよ