すべての新生児にB型肝炎ワクチンの接種を

 先週末も相変わらず忙しかった。
 10日(金)は、全国難病センター研究会第17回研究大会が、徳島市のとくぎんトモニプラザで(11日まで 私は10日だけ)開かれたので、設営の手伝いとして参加した。全国から100名を越える関係者が参加した。
 開催場所が四国・徳島という土地柄か、特別講演は「四国巡礼と病気」と題して真鍋俊照さん(四国大学文学部教授・四番札所大日寺住職)が講演した。お寺さんが特別講演するのは、長い研究大会の歴史で初めてといっていた。そうだろう。難病患者にとっては死は健康な人より身近なのだから、少しでも敬して遠ざけたいものだ。どう死ぬかはどう生きるかにつながるものだが、難病患者にとって生きることは大変なものだ。
 札所は奈良時代から始まって、江戸時代に完成したそうだ。「同行二人」といって、弘法大師と一緒に札所を歩くのだが、四国もだいぶ温かくなり、お遍路さんの姿も多くみられる時期になった。8日に、連れ合いと11番札所藤井寺から12番札所焼山寺の山道を歩く途中にある、樋山地石鎚山(545m 往復5時間かかった)に行った。途中で、大阪・札幌・神戸等から来た人に出会った。
 昔から遍路道には多くの人が来るが、一番大変なのはハンセン病の方たちだった。北条民雄の小説「いのちの初夜」に詳しい。北条は徳島の南の方の生まれだが、隔離施設(東京都東村山の当時の名前で癩病療養所全生病院)に入れられて、24歳の短い生涯を終えた(1937年12月5日)。彼が21歳で入院して以来、4年間に書き遺したものが「北条民雄全集」上下2巻にまとめられ、東京創元社から1980年に出版されている。
 講師の真鍋さんは、子供の頃、祖父から寺の敷地の片隅に蓆を敷くように言われたそうだ。なぜかというと、ハンセン病の人が巡礼に来た時の休む場所にするということだった(感染症であるため、他の人と同じところには宿泊できないし、お金もほとんど持っていないためであろう)。ある時、親子(娘)連れの人が来て、一晩中大師堂の前でお経をあげていたという。お経をあげていたからといって、病気が治るわけではないのだが、その熱心さに心を打たれたと語った。
 研修講演は「小児肝臓病患児への支援  小児科医からみたこれからの課題」と題して十川剛さん(済世会横浜市東部病院こどもセンター 医師)が話をした。小児にとって命にかかわる3つの病気について話をしたが、B型肝炎についての話は私にもかかわることなので、興味深く聞いた。
 日本では母親がB型肝炎ウイルスを持っている場合、生まれてすぐに母子感染ブロックをする。そのために、大きくなってB型肝炎を発症することを防ぐことができる。したがって、新たに子供たちがB型肝炎ウイルスに汚染されることは無くなってきたのだが、最近B型肝炎キャリアになる子どもが増えているという。その原因は、B型肝炎ウイルスのジェノタイプ(遺伝子型)にあるという。B型肝炎ウイルスのジェノタイプは10ほどあり、日本ではジェノタイプCが多いという。これは、年齢が行ったのちに感染しても一過性で終わり、慢性化することがなかった。
 ところがジェノタイプAのウイルスが、日本でも多くみられるようになった。これはヨーロッパに多い型で、成人して感染(性交渉などで)しても慢性化する場合があるという。日本では、日本人は毎年200万人ほどが海外に行き、50万人ほどが外国から来るという時代になって、ジェノタイプAのウイルスに感染することが多くなり、その余波が小児に及ぼしている。
 B型肝炎は現在はまだ完治できない病気だが、ワクチンを投与すれば感染を防止できるようになっている。国連のWHOでは、出生した全ての小児に対してB型肝炎ワクチンを接種するよう強く推奨している。ところが、日本の場合はB型肝炎ウイルス危険国とされているのに、母子感染ブロックだけしか行っていない。講師があげた世界地図で未実施国はほんのわずかであった。2009年の段階で、世界177カ国でB型肝炎ワクチンが、全出生児を対象に行われているというから、日本は全くたち遅れており、こどもに優しくない国となっている。

 B型肝炎ワクチン実施を、全出生児にと訴えたい。


 昨日は、「さよなら原発徳島実行委員会結成総会」がアスティとくしまであり、400人ほどが集まった。詳細は、マサ子通信パート2をご覧ください。


 
 上の写真は、我が家の張子面 広島・宮島張子


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○花の雫で 書く此の文は 愛燐(いとし)お方の 文机(ふづくえ)に
 ○薔薇も牡丹も 枯れれば同じ 花でありやこそ 別け隔て
 ○馬鹿になさるな 枯木ぢやとても 藤が絡まりや 花が咲く