「万里の長城は月から見えるの?」

 著者武田雅哉の本を読んだのは、「<鬼子>たちの肖像」)(中公新書)と中野美代子との共著の「世紀末中国のかわら版」(福武書店)に次いで3冊目。

万里の長城は月から見えるの?

万里の長城は月から見えるの?

 「世紀末中国のかわら版」は、清朝末期の世相を解説している絵入新聞の「点石斎画報」を取り上げていて面白い本であった。また「点石斎画報」については、「『「点石斎画報」』にみる明治日本」(東方書店 石暁軍)が我が家にあるのだが、これもまた楽しい本であった。
 著者の武田は、中国の教科書「語文」(日本の国語にあたる)4年生を取り上げて、長城が見えるかどうかの騒動で、その内容が変わってきたことを書いている。中国人宇宙飛行士の楊利偉が「神舟5号」に乗って地球を見た時、万里の長城は見えなかったと発言し、大議論が勃発。アメリカの宇宙飛行士アームスロングがかつて見えると言ったのに。
 そこで、今の語文4年生上では、長城について私の拙訳ではあるが大要こう書かれている。
 「はるかに長城を見ると、一頭の長い龍のようで、崇山の険しい峰に蛇のように曲がりくねっている。東は山海関から西は嘉峪関に至るまで、1万3000里あまりある(1里は500m)。北京を出て100里を過ぎない内に長城の足下にたどりつく。ここの長城は八達嶺に建設されており、高くて大きく堅固で、巨大な条石(長い石)と城壁用レンガで造られている。城壁の上は四角いレンガが敷き詰められていて、きちんと平になって、広い道になっており、馬が五六頭横になって進むことができる。城壁の外側には、2m余りの高さの壁が並んでいる。壁には遠くを見渡し矢を射る開口部があり、遠くを見たり矢を射るために用いられている。城壁の上には300mごとに四角い城台(高台)があり、駐屯兵の砦になっている。戦争の時には、城台間で互いに呼び合うことができる。長城に立ち、足元のレンガを踏みしめ、条石にもたれかかると、自然と昔長城をきずいた労働者のことが思い起こされる。 数限りない条石は、一つの重さが2〜3千斤(1斤は500g)あり、当時は汽車も車も、起重機もなく、無数の人々の肩と手とで、一歩ずつこの高く険しい山の峰まで担ぎあげられた。多くの人民の血と汗と知恵で、空前絶後万里の長城がようやく造られた。この、気迫ある偉大な工事は、世界の歴史上の偉大な奇跡の一つである。」

 とにかく、長城は月や火星や宇宙から見えたり、見えなくなったり、時代によって翻弄されているが、果たして長城をまとめ上げたと言われている秦の始皇帝は、この現代の人々の騒ぎをどう見ているのだろうか。



上の写真は、我が家の張子面 鬼 出雲張子



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○散ればこそ 最(いと)ど櫻は 可愛(めで)たい者と 悟り乍(ながら)も 辛い雨
 ○濡れ燕 門を幾度も 通るは無事な 顔を見せにか 見に来たか
 ○主の心と 空吹く風は 何所の何地(いづち)で 止まるやら