「B型肝炎訴訟と私」

 17日(土)は徳島県民医連の「医療介護活動運動交流集会」で「B型肝炎訴訟と私」と題して、30分ほど職員・生協組合員さんに話をした。これは、毎年開催されているもの。今回は、「①徳島健康生協、徳島民医連の医療活動の歴史を振り返り、先達の功績に学ぶ。 ②徳島健康生協の50周年記念行事のしめくくり」として開催された。
 私のほかに、大久保初子さん(徳島健生協常務理事)が「健康生協は”わたしの人生の伴走車」と題し自らの重大な交通事故患者としての健康生協との関わりを、岩本一男さんが(全日本建設一般労働組合徳島県本部 副委員長)が「労災職業病と建交労」と題して、たくさん関わってきた労災・職業病のなかから、特にトンネルじん肺の取り組みを健康生協との関わりで話した。
 メインの話は樋端規邦先生(といばな のりくに 徳島健康生協名誉理事長)が、「地域になくてはならない医療機関を目指して  健康生協での40年」と題して、肝臓病の診療や職業病の治療に関わったこと、集団的・民主的な医療の取り組み、民医連が掲げる「どこでも・誰でも・いつでも、安全で、良質の医療を受ける社会の実現などについて話をした。
 どの話も、民医連の医療や経営活動、社会保障に関わる取り組みで、皆さん熱心に耳を傾けていた。
 18日(日)は、大阪で全国のB型肝炎訴訟原告・弁護士が集まって、昨年6月に合意された内容のうち恒久対策をどう作り上げるか話し合い(恒久対策班)の会議があったので参加した。だいぶ話も煮詰まって、今後もたれる厚労大臣との話し合いに役立てられる。 
 明日は、えん罪布川事件の二人を主人公にしたドキュメンタリー映画が、守大助さんを支援する徳島の会も主催者としてかかわっているので、設営などの要員として参加する。




上の写真は我が家の張子面 春日部張子 五十嵐健二作


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○瑠璃や浅黄に 咲く朝顔も 色は変れど 根は一つ
 ○朧月夜に あれ憎らしい 一人ひとりの 二人連れ
 ○お月様さえ 夜遊びなさる 殿の夜遊びや 無理は無い