雑誌「かりがね」と映画「ショージとタカオ」

 昨日は、自主上映の「ショウジとタカオ」が徳島ホールであったので、要員の一員として参加した。チケットもなんとか赤字にならない程度の普及ができ、一同ホッとした。布川事件(1967年8月30日発生)を扱ったこの映画、第84回キネマ旬報ベストテン 文化映画部門第1位を受賞している。チラシには「獄中29年、仮釈放で社会に出て14年、20歳と21歳の青年も、いつしか60歳代のオジサンになっていた。」「めげない あきらめない 立ち止まらない!」と書いてある。
 えん罪が生まれる構図も、観客にもよくわかったのではないだろうか。とにかく、監督と二人(桜井昌司・杉山卓雄)との距離が、撮影を続ける中で次第に縮まり、本音が出てきているし、二人の人柄がにじみ出てきている。逮捕された頃、二人とも町のチンピラのような存在だったのが、刑務所での生活や仮出所後の生活の中で見事にすばらしい人間になってきている。
 桜井さんは2001年に「獄中詩集 壁のうた」を出版している。

獄中詩集 壁のうた―無実の二十九年・魂の記録

獄中詩集 壁のうた―無実の二十九年・魂の記録

 これはCDにもなった。この詩集の最後に彼は、「あなたがくれたものは」という詩をのせている。この詩は刑務所を仮釈放される前日に、「カッちゃん」という女性に書いたもの。詩の冒頭部分を紹介する。

 「あなたがくれたものは」

 18年4か月余りの刑務所生活が
 終わらんとする今
 毎月一度の面会と
 2,600通の便りにあった
 あなたの真摯な思いがあればこそ
 いまの私があり
 私の心と価値観があります

 この女性は、映画「ショウジとタカオ」で、桜井さんが刑務所から出てくるシーンがあるのだが、最初に桜井さんに近づいて並んで立った、ちょっと(?)小太りの女性である。この女性、何度も学習会のシーンなどにも登場するが、「カッちゃん」である。
 実は私「カッちゃん」とは43年前からの知り合いである。私がまだ大学生で東京に住んでいて、小学校以来の友人M君に誘われて雑誌「かりがね」を一緒にしていた頃、その一員になっていた女性で、彼女の家で編集会議等もしたこともある。
「かりがね」は今は死語ともなっている謄写版印刷で、字は手書きなのではなはだ見づらい。創刊号は1967年12月16日。私の手元に残っている最終は第15号(1970年11月15日)なので、その頃に終わったのだろう。


 「かりがね」創刊号表紙

 「カッちゃん」は、9号に「こんにちは」(1969年5月1日)で初登場し、10号に「思うこと」(1969年8月1日)、11号に「無実の人 村上国治のいる網走へ」(発行日不詳)、15号に「14号ごくろうさん」を寄稿している。
 「無実の人 村上国治のいる網走へ」は、この年11月14日に村上国治は釈放されるのだが、15歳で初めて松本清張の「日本の黒い霧」で取り上げられた「白鳥事件」(村上国治が犯人にでっち上げられた)を知ったときからの事を書いている。彼女は、若い時から日本国民救援会の東京都本部に勤務して(定年過ぎた今でも勤務しているそうだが)いて、多くのえん罪事件の解決に関わってきている。
 


我が家の張子面 宮内フサ作 豆鬼面


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○私ャどうでも あなたの儘(まま)ぢゃ 乱れ柳も 風の儘
○儂(わし)が心は 蓮(はちす)の花よ 泥気(どろけ)離れて 清く咲く
○儂とお前は 小薮の小梅 生(な)るも落つるも 人知らぬ