演劇「静かな落日」

 27日は文学座の「静かな落日」を観に行った。これは、徳島市民劇場主催であるが、連れ合いの知り合いが急に行けなくなったので、そのチケットをもらいうけたもの。祖父広津柳浪・父広津和郎・娘桃子の三代にわたる家族の交流。その背景には「松川事件」がある。
 主な登場人物はこの三人に加え、宇野浩二志賀直哉、和郎の妻と愛人など。戦前・戦中に書きたくても書けなかった時代に、愚直な精神を貫きとおし、松川事件に関わることによって、作家精神を取り戻した和郎、それを支える娘桃子たちの会話は、相互信頼に満ちている。
 戦後最大のえん罪事件と言われる松川事件は、1949年8月17日に福島県東北本線金谷川と松川駅間において発生した、列車転覆事件。国鉄東芝の労働者20名が起訴され、第一審、第二審では死刑5名を含め過酷な判決が下された。その後、広津和郎をはじめ多くの支援者が公正な裁判を求め立ち上がり、14年間続いた裁判闘争で無罪が確定した。戦後の民主化の波の高まりの中、朝鮮戦争が勃発する直前のこの事件、アメリカと政府の謀略と言われているが、松川事件三鷹事件下山事件等、日本を保守化へ右カーブさせることに権力の側は成功した。真犯人は捕まらない。当然である。身内を捕まえ、権力を国民の手に明け渡すようなバカはいないわけだから。

 

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

 著者の高橋は、本書の冒頭で、なぜ、福島と沖縄なのかという問いを発している。
 「福島の原発事故は、戦後日本の国策であった原発推進政策に潜む『犠牲』のありかを暴露した。沖縄の米軍基地は、戦後日本にあって憲法にすら優越する『国体』のような地位を占めてきた日米安保体制における『犠牲』のありかを示している。私はここから、原子力発電と日米安保体制とをそれぞれ『犠牲のシステム』ととらえ、ひいては戦後日本国家そのものを『犠牲のシステム』としてとらえかえす視座が必要ではないか、と考えた。」
 そうであるならば、犠牲のシステムから脱却するには、原発推進政策と日米安保体制から「おさらば」しなければ、永遠に日本国民が「犠牲者」の立場から逃れ出る道は無い。沖縄の米軍基地の負担軽減と言って、県外移設・国外移転と声高に主張するのは、全く詭弁でしかないことが理解される。
 今なお放射能福島原発から出され続けているのだが、国は「税と社会保障制度の一体改革」ということで、社会保障制度を虜にして、国民に負担を押し付けようとしている。原発と基地を押し付けられている自治体と住民には、「自立」する権利さえ奪われていると私は思うのだが。




我が家の面 京劇面


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○烏何で啼く 長兵衛の屋根に 銭も持たずに かほかほと
 ○風よ吹け吹け 木葉を乗せて 乗せた木葉の 落ちぬ程
 ○玉川に 咲ける卯の花 岸白白と 雪か月夜か 置く霜か