B型肝炎訴訟と守大助でうまる日々

 6月28日は昨年のこの日、国とB型肝炎訴訟で和解の基本合意ができた日であった。その1周年を記念して集会が開催されたので、私も参加した。本来ならば、和解が進捗し基本合意の項目が誠実に実施できていればよいのだが、この1年間を見ると残念ながらそうはなっていない。そのため、1周年集会の前に1時半から厚労省前で抗議の宣伝行動を行った。この行動には、全国の原告・弁護士・サポーターが150名ほど参加した。
 配布したチラシには、「生きているうちに救済を!」「国は和解手続に取り組む体制を抜本的に強化しろ! 国は原告に対する不必要な資料の要求をやめろ!」と書かれていた。
 6月27日までに和解が成立したのは、原告5,184人のうちわずか470人。わずか9%の和解率である。ここでも大問題は、厚労省の試算でも40数万人もいる被害者のうち、1%余りしか裁判所に提訴できていないことである。厚労省が本当に被害者の掘り起こしを行い、救済に当たろうとしているのか全く疑問に思う。肝炎ウイルス検査を受けられる体制の整備、全国民への周知を丁寧に行うべきである。


 厚労省前で

 3時からは、第二衆議院議員会館に場所を移して、各班に分かれて議員に対する要請行動。その中身は、①和解が早急に進むために厚労省に働きかけて欲しい ②和解を進ませるために体制の強化と無駄な資料請求をしないこと などであった。私は、大阪原告の一員なので大阪・岐阜・京都などの国会議員を回ったが、徳島選出の仁木博文議員のところも訪問。ここは、何度も大阪原告共同代表の小池さん(徳島出身)とも訪問しているので、応対に出た秘書とも顔なじみで私たちの話を理解してくれた。感謝。初めて国会議員要請に参加した人もいたが、自分の心情をキチンと語ったので被害の実情を理解してくれたと思う。

 午後6時半からは星陵会館に場所を移して「全国B型肝炎訴訟基本合意1周年集会」が開かれた。集会では、初めてこういうものに参加する人も多いので、今までのB型肝炎訴訟の歩みをまとめたパワーポイントによる上映から始まった。
 東京の弁護士でアマチュアオペラ団に入っている芸達者もいて、オペラ団「ガレリア座」のミニコンサートもあった。また、私たちのB型肝炎訴訟に先行する裁判で、勝訴を勝ち取る上で大きな役割を果たした与芝真彰医師(せんぽ東京高輪病院長)によるミニ講演「今後のB型肝炎診療の方向性」があった。
 国会議員からもあいさつがあった。和解当時の首相の菅議員もあいさつし、今後もB型肝炎訴訟に関わっていくことが表明された。
 「今後の活動で目指すもの」では恒久対策・真相究明の重要性、早期和解への取り組みが小沢弁護士から話された。そして、厚労省の真相究明に関わる会議、恒久対策に関わる会議(肝炎対策推進協議会)の委員が紹介され、私も委員の一員として、簡単に抱負を述べた。全国の原告団弁護団がこれからも力を尽くし世論を味方にして運動を進めないと、厚労省の堅陣を崩して、真の被害者の救済は実現できないだろうと感じた集会であった。


 1周年集会


 壇上で話す私


 翌日は四谷の主婦会館で、原告団の代議員総会が午前中開かれたので参加した。
 午後には別件があったが、後日報告する。



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
 ○お医者お医者と 名ばかりお医者 匙が嫌ひで 踊りが好きよ
 ○医者の薬礼(やくれ)と 御苑(おにわ)の櫻 取りに行かれぬ さき次第
 ○女庭訓 読んでも見たが ○○するなと 書いちゃ無い


女庭訓:女子用「庭訓往来」の意。江戸時代の女子修養書。