野呂邦暢と「昔日の客」関口良雄

 2010年12月26日のブログに「山王書房『昔日の客』」と題して書いた。それより先、自費出版した「孺子の牛」(2008年5月)には、「3.馬込文士村」と題して、山王書房について触れ、そこの店主関口良雄の人柄について当時高校生だった私が受けた印象について書き綴った。
 一昨年12月に「昔日の客」を入手して、こう書いた。
 『ホテルで飛行機の待ち時間でこの本を読んだ。もう50年近く前に接した関口良雄の人柄がにじみ出ている文章だった。本と人を愛する心が文章の端々からあふれてきているようで、心和む本であった。私が、孺子の牛に書いた通りの人物であった。「虫の居どころ」「古本」「偽筆の話」「某月某日」の鶏の話、「昔日の客」の作家野呂邦暢の話など、とにかく楽しく読ませてもらった。野呂邦暢山王書房について書いた随筆「小さな町にて」も読んでみたい。』
 時々書店(古書店も含め)に立ち寄った時に探すのだが、42歳で亡くなり寡作でもあったこの芥川賞作家の本は、なかなか見つからない。
 7月11日に厚労大臣との協議に参加したが、その後立ち寄ったジュンク堂池袋店でようやく野呂邦暢の本を見つけた。「夕暮れの緑の光」である。したがって、彼の小説は読んだことがない。

夕暮の緑の光 (大人の本棚)

夕暮の緑の光 (大人の本棚)

 みすず書房から発行されているが、この出版社の装丁はどれも上品で読んでいて気持ちがよい。本書は、週刊読書人などに掲載した随筆を「王国そして地図」「古い革張椅子」「小さな町にて」などにまとめたものから抜粋して編集したものである。
 山王書房については、「S書房店主」「山王書房店主」と題して2篇が入っている。私より9歳年上の筆者がそこで書いている店のたたずまい、店主の風貌・人柄は、私が感じたものと全く同じであった。
 欲しかった写真集{ブルーデル彫刻写真集」1500円。「田舎(諫早)へ帰るのだと私が告げると、店主は黙って500円引いてくれた。自分への餞別だといった。」
 関口の「昔日の客」という題名は、野呂邦暢が彼に贈った作品集「海辺の広い庭」の見返しに墨書した「昔日の客より感謝をもって」に由来している。野呂邦暢長崎県諫早市にずっと住んで作家活動を続けた。
 彼は小説について、「小説というのも、畢竟、土に根ざし土にはぐくまれるものである。わたしは両足でつねに土を踏まえていたい。子どもの頃覚えた充実感というのは、つまるところ大地の奥深い所から湧き出た土の霊の如きものとの感応に他ならないからである。」と書いている。
 諫早で生き続けた作家の心は、残念ながら国の諫早干拓という一大公共事業の無駄遣い・自然破壊によって踏みにじられている。

 ウィキペディアではこう紹介されている。野呂邦暢(のろ くにのぶ、1937年9月20日 - 1980年5月7日)は、日本の小説家。長崎県長崎市生まれ。本名、納所邦暢。1956年、長崎県立諫早高等学校卒業。職を転々とした後、1957年に佐世保陸上自衛隊入隊。1965年、「ある男の故郷」にて第21回文學界新人賞佳作。1974年みずからの自衛隊員としての体験を基にした作品「草のつるぎ」にて第70回芥川龍之介賞受賞。諫早市を舞台にした小説・随筆を数多く残したが、42歳で急逝。毎年、彼を偲び、5月最終日曜日には、諌早市上山公園の文学碑の前で菖蒲忌が行われる。


 昨日(7月21日)はB型肝炎訴訟大阪原告団弁護団の恒久対策会議があり参加した。今日は反原発の徳島集会に参加した後、夕方の飛行機で東京に行く。23日の厚労省「肝炎対策推進協議会」に出席するためである。



我が家の張子面 春日部張子:五十嵐健二作


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇思ひ出すよな 惚れよぢゃ浅い 思ひ出さずに 忘れずに
〇無理をいふのが 私の無理か 無理をいはせる 主が無理
〇無理に帰へるを 無理から止めて 無理と知りつつ いふた無理