酒見賢一「周公旦」と手拭「染の安坊」
- 作者: 酒見賢一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2003/04/10
- メディア: 文庫
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周公旦と太公望呂尚が登場し、二人の政治の運営を対比させている。著者はこう書いている。「中国文化、言い換えれば漢文化の浸透度によりその民は測られ中国人となる。中国の制度、文化を受容し採用した地域はすなわち準中国となる。中国の文化を受け入れた地は既にして中華の一部であるという思想である。そして中国の文化の根幹は言うまでもなく礼である。礼あるによって通行国交は可能となる。このようなやり方を初めて行ったのは周王朝からであり、周公旦が望んでその先駆となった。」としている。だからこそ、礼によって国を治めることを目標とした孔子が一番に重んじたのが周公旦であった。
ところでこの頃の中国、残念ながら礼にかけるところ大であるようだ。日本も五十歩百歩ではあるが。
写真は、浅草の手拭専門店「染の安坊」で購入した手ぬぐい。風鈴の短冊に「四万六千日」と書いているので、どういう意味かと聞いたところ、下記のような説明をしてくれた。
以下の説明は浅草寺のブログから借用した。
『観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間(1716〜36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました(この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)。』
浅草寺のほおずき市は毎年7月9日〜10日に行われるため、こういう手拭のデザインになったのだろう。
俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇斯(か)うすりゃ斯うして 斯う成る事と 知りつつ斯うして 斯う成った
〇さぞやさぞさぞ さぞ今頃は さぞやさぞさぞ さぞやさぞ
〇磯の鮑(あわび)を 九つ集め ほんにくかいの 片思ひ