「贋作吾輩は猫である」 内田百輭 と あわ9条の会

 昨日は、あわ9条の会が毎月日曜日に1回おこなっている、憲法9条を守る宣伝行動。家の近くのスーパー「マルナカ柿原店」前の交差点で、朝から1時間行っている。先月は、B型肝炎訴訟関係の会議で東京に行っていたので、私はお休みをした。手製の幟と横断幕を持って訴えている。


贋作吾輩は猫である―内田百けん集成〈8〉   ちくま文庫

贋作吾輩は猫である―内田百けん集成〈8〉 ちくま文庫

 内田百輭の著書を読むのは初めて。夏目漱石の最晩年の弟子である内田は、1889年(明治22年)生れで、1971年(昭和46年)死亡。小説家でもあり多くの随筆もものにした。本名は内田 榮造。戦後は筆名を内田 百輭と改めた。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。「百輭」は、故郷岡山にある旭川の緊急放水路である百間川から取ったものという。
 この小説でも面目躍如ではあるが、独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。
 漱石の「吾輩は猫である」では吾輩君は最後は水瓶に落ちて溺死してしまう。しかし、本文のどこにも「死んだ」とは明言されていない。ただ意識を失っていく場面がつづられているばかりである。
 そして、「猫と雖も麦酒を飲めば酔っ払い、飲んで時がたてば酔いはさめる。どのくらい時が過ぎたか、歳月が流れたか、変転極まりなき猫の目を閉じて甕の中に一睡した間の事は知らないが、気がついて甕の縁から這い上がり、先ず身震るいをして、八萬八千八百八十本の毛についた雫を払い落した。」として、蘇生するのであった。
 この猫、苦沙弥先生宅にいて水がめに落ちたのが1906年、蘇生したのが1943年だから、水がめの中で永い間酔生夢死していたものだ。
 そこで拾われたのが、苦沙弥先生ならぬ五沙弥先生宅。奥さんには可愛がられ、「アビシニヤ」(略称アビ)という名前を頂戴する。アビシニアはエチオピアの別名で、アビシニアンはエチオピア原産の猫の一品種と言うが、この猫の姿かたちはアビシニアンにはほど遠いようだ。主人公の五沙弥先生はドイツ語の先生だから、ドイツ語での命名だろうか。ドイツ語も理解しない私にはわからない。
 特に筋立てもなく終わる小説であった。




我が家の張子面 狐 静岡澤屋



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇只(た)った二つの 靨(えくぼ)に陥(はま)り 今ぢゃ諸方に 穴だらけ
〇櫛は縁切り 簪や形見 指輪は当座の 縁繋ぎ
〇片手剃刀(かみそり) 片手に砥石 切れても合わせて 下さんせ