B型肝炎患者に対する差別・偏見の撤廃

 2010年1月に肝炎対策基本法が施行され、2011年5月に肝炎対策の推進に関する基本的な指針が策定された。指針では国は、肝炎対策を総合的に推進するための基盤となる行政的な研究等を推進する必要があるとされている。
 全国B型肝炎訴訟原告団弁護団は今年6月1日に、厚生労働大臣に対して「平成24年・恒久対策に関する大臣要求項目」を提出した。その中には「4. 啓発・知識の普及・人権の尊重に関する要求」も含まれている。具体的には、下記の内容となっている。

1 偏見や差別の実態の調査・分析およびそれに基づくガイドラインの作成
B型肝炎患者への差別・偏見撤廃のために適切かつ効果的な普及啓発活動を行うためには、偏見や差別の実態の把握を行い、適切な分析を行い、広く国民全員に対して偏見や差別をなくすための適切な基準の設定を行う必要がある。また、偏見・差別を一刻も早く撤廃するために、当該基準の設定は迅速に行わなければならない。
そこで、既に取り組まれている「肝炎患者等に対する偏見や差別の実態を把握し、その被害の防止のためのガイドラインを作成するための研究」について、B型肝炎患者に対する差別や偏見について実態把握の調査を迅速に行い、同調査の分析を適切に行い、同調査結果および分析結果について、適宜中間報告を行われたい。また、これらの調査および分析に基づき、偏見および差別の被害防止のためのガイドラインの作成を迅速に行われたい。

 厚生労働省では肝炎対策基本指針に基づき、多方面にわたる研究がなされている。その一つが標題の「肝炎ウイルス感染者に対する偏見や差別の実態を把握し、その被害の防止のためのガイドラインを作成するための研究」である。この研究は、龍岡資晃学習院大学法科大学院教授が中心になって行われている。

 9日には徳島にこの研究班がやってきて、肝炎患者から患者が受けた差別・偏見についての聞き取り調査を行った。全国で50人ぐらいから聞き取り調査を行うようだが、研究班の担当者の一人から徳島肝炎の会の患者の紹介を近藤事務局長が依頼された。彼は、徳島肝炎の会のS前会長と長年会員であるMさんを紹介した。この二人と研究班の人(3名が来徳)との顔の引きあわせをするので、私にも来いという業務命令が近藤事務局長からあったので、会場のある徳島市のホテル千秋閣まで行ってきた。聞き取り調査は二人のほかに、徳島在住で東京肝臓友の会の会員さんからも聞いたようだ。
 聞き取り調査を終えた後Mさんは「いろいろ聞いてくれてすっきりした。胸のつかえが降りた。」と言っていたが、自身の病気だけでなく母子感染させてしまった娘や息子の将来を思って悩んだ十年数が、いかに苦しかったが理解される言葉であった。また、この彼女の発言が今後のガイドライン作成に少しでも役立って欲しいと思うのであった。

 この研究によって差別・偏見の実態がわかれば、適切なガイドラインが作られるだろう。大津市の中学生のいじめによる自殺も、学校側・教育委員会側が真摯に事件について向きあわず、真相を隠そうとしているとしか思えない。これではいじめは到底無くならないだろう。このことと同様で、肝炎患者に対する差別・偏見についても対応を誤ってはならない。
 今回の研究について原告団弁護団も大いに期待している。また、差別・偏見が一刻も早く解消されるには、国任せ・企業任せ・国民任せでなく、私たちも積極的に関わる必要がある。被害者自身が声をあげていかなければ、どんな差別の解消されないからである。

 7月11日に「B型肝炎訴訟全国原告団弁護団と大臣の定期協議」が行われ私も参加したが、そこで発言した東京原告団副代表の石川冬美さんは「現在、厚労省の龍岡研究班で肝炎患者に対する差別、偏見について調査され、医療機関におけるガイドラインを作成していく予定であるとお聞きしています。しかし、差別、偏見の問題はこれに関わる当事者双方の適切なコミュニケーションがなければ、本質的な改善にはつながりません。そこで、差別、偏見事象の調査研究や防止のためのガイドライン作成に当たっては、当事者の一方であるB型肝炎患者、とりわけこれまで患者会などに余り組織化されてこなかった、無症候性キャリアの方などの意見を直接に聞く仕組みをつくる必要があると考えますが、こうした取組みを行うおつもりはおありでしょうか。」として、ガイドライン作成にあたっては患者・被害者の意見が反映される仕組みの構築を求めた。



 10日は『「無言館所蔵作品による「戦没画学生 生命の絵」展』が徳島県立美術館であったので連れ合いと行ってきた。長野県にある「無言館」は数年前に行ったことがあるが、夏休みにこういう企画が地方都市で行われるということは、大変意義深いものだとおもう。中学生・高校生とみられる子どもたちも見に来ていた。
 絵には作者の名前・略歴・死亡年齢・死亡地などが書かれていて、その若さに改めて国が行った無益で道理のない戦争に怒りを感じた。どの絵も暗い、明るさが無いのである。戦争による資材不足もあるのだろう、絵具も質が落ちていたのだろう、キャンバスも不足していたのだろう。板に描いたものが多くあった。



我が家の張子面  鬼 宮城県松川張子



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇人は一寸(ちょいと)見て 一寸惚れするが 私能(よ)く見て 能く惚れる
〇ほれたほれたよ 何にョ見て ほれた 馬が小便して 地(ぢ)がほれた
〇抓(つね)りや紫 喰ひつけや紅よ 色で固めた 此の體(からだ)