「琉歌百景」 綾なす言葉たち  上原直彦

 池袋のジュンク堂書店で購入したのだが、この本は「地方小出版流通センター」扱いとして、棚に陳列していた。地方の出版社や零細の小出版社の本を扱って、もう40年ぐらいになるのだろうか。ずーっと昔、ここで取り扱っている本を何冊か注文した記憶があるが、貴重な存在であると思う。

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 本の帯に「三十音に込められた悠久の≪琉球の魂≫」とあった。この本を買う気になったいきさつは、著者・上原直彦にある。本屋の書棚を見ながら考えた。どこかで聞いた名前である。そこで思い出したのが沖縄の唄者・嘉手刈林昌である。何枚かCDを持っているが最初の彼との出会いは、「琉球フェスティバル ’74」である。36年前に購入したこのレコード、なかなか唄者の顔触れが豪華である。日比谷野外音楽堂での実況録音盤で、全歌詞本土語訳・並びに解説が竹中労であった。この実況の司会者が上原直彦。全国各地を皆でめぐって歌っていた。
 今、聞きながらこのブログを書いている。
 レコードの解説では、上原直彦を以下のように紹介している。
 「琉球放送のラジオ・ディレクター、島うた番組『ふるさと万歳!』の司会者、八重山宮古の埋もれていたユンタ、アヤグ、アヨー(いずれも謡という意味)のは発掘者として、沖縄の土着の音曲を語る時、決して欠かすことのできぬ人物である。」
 時に上原36歳。


 折角だから、一曲紹介しよう。

  「下千鳥」(さぎちじゆや)
 真夜中(まゆなか)どやしが
 かねる夢見(いみん)ちゃる
 今時分(なまじぶん)うじゅでィ 我沙汰(わさた)しらに
 淋しさや干(ひし)瀬ぬ 千鳥啼声(なちぐい)


 嫁(ゆみ)からどあんま 
 しとんなてィいめる
 うんじゅひちあてて
 かなさみえり

  
 朝ま夕(ゆ)ま通(かゆ)てィ
 なりし面影(うちかじ)ぬ
 たたな日やねさみ 塩屋ぬ煙(ちむり)
 変(かわ)て今日ぬ夜半 あかしかにへ


 ≪竹中労 訳≫
 ふと真夜中 夢にうなされて
 目をさましてしまった
 きっとあの人が こんあ夜更けにも起きていて
 わたしのことを 想っているにちがいない
 耳をすませば浜千鳥
 干潟で啼く声が 淋しく聞こえる


 あの人とひき裂かれた わたし
 お姑(かあ)さんにも 嫁であったむかしがあったのでしょう
 自分の身の上にひきあてて わたしの悲しみを
 すこし思いやってくださればと


 あの塩を焼く煙が いつも絶えぬように
 朝な夕な 恋しい人に
 心をかよわせぬ時とてありません
 今夜もこうして 朝まで まんじりともできないのです



 琉歌の基本は八八八六音詩形で、今から四五百年前にできたようだ。
 〇里や幾花ん 咲ちみしぇらやしが
  我身やくり一花 咲ちゅるびけい
  (さとぅや いくはなん さちみしぇらやしが
   わみや くりちゅはな さちゅるびけい)
 歌意=あなたはモテる男。これから幾つもの恋の花を咲かせることができるでしょう。でもわたしはあなたと咲かせるこの花だけが全てです。ただの遊びならイヤです。心から愛してきれいな花を咲かせて下さるなら、あなたの言葉に染まりましょう。

 琉歌には分句があって、いくつかの歌題を決め、ふたり一組になって、ひとりが上句の八八を詠み、他方が八六の下句をつけるという趣向。
 〇我身ゆ取ゐみしぇみ 刀自ゆ捨てぃみしぇみ
  (わみゆ とぅゐみしぇみ とぅじゅ してぃみしぇみ)
  刀自や雨降ゐぬ 傘どぅやゆる
  (とぅじや あみふゐぬ かさどぅ やゆる)

 女=もう、ここまで染まって別れるのはイヤです。最終的には、わたしを取るのですか。それとも妻を捨ててわたしと一緒になりますか。
 男=お前を捨てるものか。別れるものか。このままの関係を断つことはない。言ってみれば妻とは、雨降りに必要な傘みたいなもの。家に置いておけばよい。



 我が家の沖縄土人形



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
〇彼(あ)の子気の毒 背中に虱(しらみ) 聞けば着替えが 無い相な
〇恥かしいぞへ 牡丹の花を 見に行く私は 花が獅子
〇彼の子何故やら 私を見て笑ふ 私も見て遣ろ 笑(わ)ろてやろ