大阪地裁でB型肝炎訴訟 徳島県人和解

 昨日(12月14日)は、大阪地裁でB型肝炎訴訟の期日があったので参加した。毎回、提訴者が増えてきて傍聴者も同じように増えてきている。本来は80席ぐらいしかない大法廷も、昨日は傍聴席に補助席も入れ、弁護士席の後ろにも補助席を入れたが、溢れて傍聴できなかった原告もたくさんいた。聞くところによると130人余りが傍聴し20名余りが法廷に入りきれなかったということだった。
 今回和解できた原告は165名(被害者数で150名)であった。その中に徳島からの提訴者も3名いた。
 徳島新聞の今日の記事に女性の感想が書かれていた。その方は提訴以来毎回大阪まで来て裁判を傍聴し、また恒久対策の会議にも参加する等、熱心にB型肝炎訴訟の前進のために活動していたので、正直言って和解が成立し安心した。
 大阪での訴訟は、1,469名の提訴者で、和解成立は383名になった。その内徳島県関係では30名の提訴者で17名の和解者である。
 読売新聞の記事では厚労省の統計で、12月7日現在で全国29地裁で提訴者数は7,147人、和解数は1,416人とあった。全員救済への道はまだまだ程遠い。


上は、今日の徳島新聞の記事。


 裁判では、3名の方が意見陳述をした。原告番号951番の女性は遺族原告。ご主人はゼネコンに勤務していたが、阪神大震災のあと復旧工事や修繕の仕事で休む暇もなく仕事をしていて体がしんどくなって受診すると、慢性B型肝炎と診断された。その後平成21年に息子さんが20歳の若さで交通事故死。息子さんの49日が終わったころに受診すると肝がんを宣告され、余命3ヵ月とのことであった。家族や医療関係者の懸命な努力の甲斐も無く、ほぼ3カ月後に亡くなられた。原告は、「息子の突然の死という大きな衝撃に、病を抱える夫の身体は耐えきれませんでした。B型肝炎ウイルスに感染さえしていなければ、こんなことにはならなかったと、悔しい気持ちで一杯です。高校生と小学生の二人の娘を残していく夫の無念さを想像すると、どんなにか悔しかっただろうかと思います。」と証言した。
 原告番号534番の女性は、平成3年に献血によりB型肝炎ウイルスの感染がわかった。インターフェロン治療は副作用が大変で40度近い発熱があったりしたが、効果はなかった。その後肝硬変に進み大阪肝臓友の会に相談し適切な治療を行ってくれる病院を紹介された。
 裁判では医療機関で肝硬変と診断された検査結果を国へ提出したが、「指定医療機関が作成した診断書」の提出を求められた。かかっている「和歌山県立医科大学付属紀北分院」の診断書では駄目だというのだ。かかっている医師は県立医科大学の内部研修も受けていているのである。全く、患者・被害者の立場を考えずに「認定」という形式にのみこだわった国の姿勢は納得しがたい。原告は、「証拠が残っていないなどの理由から原告になれない方がたくさんおられます。また和解が済んでも、私たちの体に入ったB型肝炎ウイルスを消すことはできません。国は和解手続で不合理な資料要求をすることに力を注ぐのではなく、私たち患者が安心して医療を受けられる体制づくりや医療費の助成の拡充、新薬の開発などの恒久対策に力を注いでもらいたいです。」と意見陳述をした。
 原告番号249番の女性は、平成3年に肝がんを発症して手術を行った。その7年後違う肝臓の部位で肝がんが再発した。このためB型肝炎訴訟に加わったのだが、国は最初の肝がんの発症が提訴するまでに20年(除斥期間)以上経っているので、肝がんとしての和解認定はできないと回答してきた。民法724条には『不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。』を楯にとっているのだ。国は私たちが起こしたB型肝炎訴訟に先だった裁判を長引かせて、被害者に対する救済措置を怠ってきたのに、その付けを被害者に廻そうというのだから無責任も甚だしい。
 担当の弁護士は、最高裁では平成10年6月12日の、時効の停止に関する民法158条(未成年者又は成年被後見人と時効の停止)の規定を活用して724条後段の20年の適用を制限する判断、さらに平成21年4月28日には同じく時効の停止に関する160条の規定を活用して724条後段の20年の除斥期間の適用を排除する判断をしていると主張した。また、7年後の肝がんの再発は全く前のものとは別なので、この日を時効の起算日とすると20年は立っていないと主張した。そして国の原告番号249番の方への不当な取り扱いの変更を求めた。また裁判所には、時効の20年が経過していないことへの判断を下すよう求めた。

 裁判後には、報告集会・原告団総会が行われた。報告集会では、新たな提訴者にたいしこれまでのB型肝炎訴訟の経過がわかるDVDの上映、オレンジサポートの学生の発言、真相究明の活動、恒久対策の活動等が報告され、病態別の交流会も行われた。




我が家の絵馬  鎌倉・弁天堂



俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○三更(こう)四更の 夜も更(ふ)け渡る 最早や五更か 明けの鐘
○孝といふ字に 武装をすれば 忠といふ字や 無いかいな
○孝といふ字を 分析すれば 老(おひ)をいただく 子で御座る
 ※更 日没から日の出までの間を五等分して呼ぶ時刻の名(広辞苑