「残留日本兵」

残留日本兵 - アジアに生きた一万人の戦後 (中公新書)

残留日本兵 - アジアに生きた一万人の戦後 (中公新書)

 著者の林英一は1984年生まれだから、29歳。こういう全く戦争を知らない若者が、こんなテーマを研究しているのだから、頼もしく感じる。
 本の帯には以下のとおり書かれている。「『恥ずかしながら帰って参りました』―。残留日本兵といえばすぐに思い浮かぶのが、横井庄一小野田寛郎、そして”水島上等兵”。彼らの苦難の歳月は、自伝をはじめ多くの書籍や映像で描かれてきた。だがいずれも悲劇の英雄として語られ、時々で話題を集めたにすぎない。本書は、アジア各地で綴られた全記録を辿り直すことで、『大日本帝国崩壊後』の残留日本兵たちの真の姿を明らかにする、初の試みである。」
 「といえばすぐに思い浮かぶのが、横井庄一小野田寛郎」とは書いてあるが、この両名すぐに思いだせる人は、今では少ないだろう。
 アジア太平洋戦争による残留日本人は、ベトナムラオスカンボジアインドネシア・タイ・ミャンマー・中国・マレーシア・シンガポール・フィリピン・ロシア・モンゴルなどアジア全土におよんでおり、総数は1万人単位に及ぶとされている。この1万人の中から100人の事例を取り上げて、彼らがどのような体験をしたのかが書かれている。
 残留した理由もまちまちであるが、国による棄民政策や国際関係の(特に冷戦時代の)奔流に押し流された人も多くいた。他国で正規兵になったり、非正規兵になったりして日本人同士が戦うこともあり、多くの残留日本兵が死んでいくなかでアジア太平洋戦争後の混乱の時代を生き抜くことの困難さがさらされた。
 著者は、「『生きて虜囚の辱めを受けず』が人口に膾炙し、鬼気迫る国民的想像力のために多くの同胞が『いかに死ぬのか』に意義を見いだして大量に死んでいった時代に、神仏や国家にすがることなく、ひたすら『いかに生きるのか』を追求した残留日本兵という名の青年たちの歴史にこだわる由縁である。」と書いているが、数カ国にまたがる逃亡・居住を経ながらも生き延びてきた残留日本兵の叫びが聞こえるような内容であった。




我が家の絵馬  山口・岩国 吉香神社  2007年12月2日購入


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
○親は他国に 子は島原に 桜花かや 散りぢりに
○逢はで寝る夜は 夢こそ頼め 打つな妻戸を 夜の雨
○しんきしの竹やれすのすだれ かけて思ふは 我れ一人